思わず泣きそうになった。26日の柔道男子73キロ級を制した大野将平選手の連覇のシーン。決勝は意地と意地のぶつかり合いで、約10分の長期戦だった。何度か取材をしたことがあって、真面目で競技を突き詰めるタイプだった。その努力を知ってるからこそ「リオを終えて、苦しくて、つらい日々を凝縮した戦いでした」と死闘を振り返りながら涙を流したときは、心にグッとくるものがあった。

1度頂点を極めた人間のその後は簡単ではない。自分も(04年の)アテネ大会で2冠達成後は、次の(08年の)北京大会の2冠という目標がぶれることはなかったが、モチベーションの維持がきついときもあった。2年連続で日本選手権にも敗れた06年春のころがそうだった。そのときはライバルのハンセン(米国)が世界記録を出したことでスイッチを入れ直せた。

再び、気持ちを立て直すことが簡単ではない中で、大野選手の場合は、コロナ禍も重なった。1年半も実戦から遠ざかったと聞いている。試合を重ねてテンションを上げていくこともできない。やりたいことはできず、不安も口にできない。そんなブランクの恐怖感は想像を超える。だからこそ、大野選手の連覇は偉大だった。

もう1人、涙を見て感慨を覚えた選手がいる。競泳の後輩の萩野公介。29日の男子200メートル個人メドレー準決勝で決勝進出を決めると、テレビインタビューでおえつした。調子に自信が持てず、決勝に行けるかどうか不安だったから安心したのかもしれない。リオの金メダリストもここ数年はどう水泳と向き合って、自信と調子を取り戻すかに比重を置いてきた。ライバルと戦うよりも自分自身と闘う日々だった。その中で、久しぶりに良いレースができたのだろう。

萩野選手も頂点を極めた後に苦しんだ。自分も2大会連続2冠を達成した北京大会後は会社を立ち上げたり、米国に留学した。自分がやりたいことをすることで、競技への気持ちを維持していた。萩野選手は真面目だし、競技を突き詰めるあまり、メンタル面も含めて五輪直前まで試行錯誤が続いた。だからこそ、今回の決勝進出には価値があった。30日の決勝ではライバルで幼少期から切磋琢磨(せっさたくま)してきた瀬戸選手と泳ぐ。メダルの期待はもちろんだが、大会前から苦闘を続けた2人のやり切った笑顔が見たい。

◆北島康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。5歳で競技を始め、中2から平井伯昌コーチに師事。東京・本郷高-日体大。平泳ぎで00年シドニーから12年ロンドン五輪まで4大会連続出場。03年に日本水泳界初のプロに。04年アテネ、08年北京で100メートル、200メートルと2大会連続2冠。五輪は金4、銀1、銅2。16年4月にリオデジャネイロ五輪への道が断たれて、現役引退。20年6月に東京都水泳協会会長に就任。

男子73キロ級決勝 連覇を達成し、井上監督(右)と泣きながら喜びを分かち合う大野(21年7月26日)
男子73キロ級決勝 連覇を達成し、井上監督(右)と泣きながら喜びを分かち合う大野(21年7月26日)
男子200メートル個人メドレー準決勝 決勝進出を決め涙を流す萩野(撮影・パオロ ヌッチ)
男子200メートル個人メドレー準決勝 決勝進出を決め涙を流す萩野(撮影・パオロ ヌッチ)