本年度から、早大で非常勤講師を務めることになりました。講座名は「パラリンピック概論」。日本パラリンピアンズ協会の河合純一会長らと、パラ選手の視点から見た日本社会、さらに企業による支援事例などを取り上げながら、パラリンピックのファンが増えるような講義をしたいと考えています。

 今回はその企業のパラスポーツ支援についてお話しします。20年東京大会開催決定後、パラ選手を支援したいという企業が急増する一方、どう支援していいのか分からないという声を多く聞いていました。そこで、先月卒業した早大大学院の研究テーマに選び、企業へのアンケート、ヒアリングを行いました。

 パラスポーツを積極的に支援している企業では、選手を雇用し、競技活動をサポートしながら、どんな支援が必要かを聞き出し、柔軟に対応している企業があることが分かりました。

 例えば、競技活動に家族や介助者などの同行が不可欠な知的障害の選手を雇用している企業では、選手だけでなく、同行者の旅費も活動予算として支出しています。社員ではないとか、就業規則にないなどの従来の枠組みにとらわれず、選手のニーズに応じて、柔軟にサポートする。パラ支援の好事例だと思います。

 また、パラ選手の支援をきっかけに新たな企業価値に気づいたという話も聞けました。エレベーターを作っている企業では、ビル内での移動にエレベーターが必需品である、との車いす選手の話から、自社製品の社会的な価値と役割の大きさに気づいたと言います。

 選手を支援する価値や意義は、本来、選手と企業が一緒になってつくっていくものだと思います。

 パラ選手から直接、話を聞き、社員が出場する大会を観戦することを通じて、企業は選手にどんな支援ができるか、そして、選手は所属企業にどんな貢献ができるのか、一緒に悩み、考えながら新たな価値を創造していく。選手雇用が短期的な宣伝ではなく、長期的に見れば社会価値の創造につながる。そういう視点を持っている企業が増えれば、支援はさらに広がり20年以降も持続可能なものになると思います。(パラリンピック・アルペンスキー金メダリスト、日本パラリンピアンズ協会副会長)

 ◆大日方邦子(おびなた・くにこ)1972年(昭47)4月16日、東京生まれ。3歳の時に交通事故で右足切断。左足にも障害が残る。高2からチェアスキーを始め、パラリンピックは94年リレハンメル大会から5大会連続出場。98年長野大会で冬季大会日本人初の金メダルを獲得。メダル数通算10(金2、銀3、銅5)は冬季大会日本人最多。10年バンクーバー大会後に引退。