渡部暁斗、弟善斗(ともに北野建設)、永井秀昭(岐阜日野自動車)、山元豪(ダイチ)で挑んだ日本は、4位にとどまった。前半ジャンプ(ヒルサイズ=HS142メートル)は3位。後半距離(20キロ)は、1走、2走の渡部善、永井で3チームによる銀メダル争いに踏みとどまっていたが、3走の山元が離されメダル圏内から脱落。エースの渡部暁につないだ時には3位オーストリアに約1分も離され、勝負にならなかった。

 日本は今季、ジャンプ改善のため、12月と1月上旬に集中的に取り組んだ。ただ、渡部暁以外の選手は走力で外国勢に劣る。ジャンプで後続を大きく離さないと勝負にならない現状だが、この日はトップから19秒差。追いかける形となり、弱点を露呈した。渡部暁は「山元が責任を感じているが走る順番を変えても順位は変わらなかったと思う。ジャンプの練習を削ってでも走力を上げた方がいい」と完敗を認めた。

 団体戦は94年リレハンメル五輪の金メダル以来、24年メダルから遠ざかるが、再び課題を突きつけられた。河野孝典コーチは改革に向けて「もう少し時間をかけて考えたい」と慎重に話した。複合ニッポン復活の道は険しい。