平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スキー・ジャンプ日本代表の小林潤志郎(26=雪印メグミルク)陵侑(21=土屋ホーム)兄弟の父宏典さん(53)が、今日10日夜に行われる男子ノーマルヒル本戦に出場する2人に、地元岩手県八幡平市からエールを送った。8日に行われた予選では潤志郎が18位、陵侑は21位で通過。幼少期から2人を指導し、その素質を開花させ超一流にまで育てた宏典さんに、兄弟の幼少期を振り返ってもらった。

 宏典さんは岩手・八幡平市内の中学校の教師で、クロスカントリーの指導をする。「潤志郎も1歳半の頃はクロカンの板をはいて、家の周りを回っていた」と言うが、4きょうだい全員がジャンプの道を選んだ。その原点になったのは、3メートルのジャンプ台だった。故郷の北海道では、除雪で積まれた雪で滑り台をつくる習慣がある。その手順で「アプローチも自作で、楽しみながらつくった」と振り返る。

 ただ潤志郎には2歳半から自分と同じ道を歩ませた。「一緒にクロカンをやりたかった。家族サービスができていなかったので」。本人が小学校入学と同時に始めたがっていたジャンプは、冬の遊びにとどめさせた。だが小4時、ランディングバーン(着地後の滑走路)を滑らせてみた。「30度くらいの傾斜で、高さは70メートルくらい。滑り始めから下っていくところは見えない。100メートル近くは滑ったかな。下を滑っただけだけど、小4じゃ怖いと思う。ジャンプが好きなんだ、向いているかもしれない」。宏典さんの母に頼み、ジャンプ用のスキー板をプレゼントしてもらった。

 週末は家族全員で秋田・花輪スキー場に向かった。陵侑も保育園の年中で20メートル級のジャンプ台を飛んでいた。「家の3メートルジャンプ台のイメージで飛んだのかな。普通にアプローチから踏み切って飛んで、周りも『おーっ』と歓声を上げてた。まあ当然転倒しましたけど(笑い)」。いざ競技を始めれば、子どものために奮闘した。地域外だったため、近くのスポーツ少年団加入を断られた。自費で北海道や長野で開かれる大会に遠征し、開催地のクラブの練習に参加した。

 教育に、遊びも取り入れた。「小3までは、夜寝る前には鬼ごっこしましたね。体幹を鍛えたかったから『俺はクモ、あなたは獲物』と本格的にやらせました。追い詰めたら、横四方固めやけさ固め、プロレス技をかけました」。「高い高い」も他の家庭とは違う。2歳半までは回転系も交えながら、体幹と三半規管を鍛え上げた。

 でも、息子たちは小学生の頃、壁にぶつかった。潤志郎は6年の時、最後の全国大会に参加したが27人中24位だった。「祖母から買ってもらった板に触らなくなった。出た試合のビデオも見なくなりました」と落ち込む兄を立ち直らせるため、試合のビデオを居間のテレビで観戦。「チャンネルの権利は僕にあるので、見るしかない」。現実と向き合わせ、競技を続けさせた。陵侑も、女子の高梨沙羅(21)に負け続けていた。

 兄弟の惨敗を踏まえ「練習量が違う。これは1本の集中力を高めるしかない。各地の指導者たちと出会い、勉強しました。それまでの教える指導から、引き出す指導に変えました」。指示を一方的に与えるだけでなく、2人に「考えさせる」ことに力点を置いた。中学以降、考える力がついて躍進を遂げた兄弟の姿を見たときは、父として、息子を誇りに思ったという。

 兄弟の名前の由来を、潤志郎は「私自身が仲間を作らないタイプでしたから、周りとの関係が潤って欲しかった。また志を持ってやり遂げる男に育って欲しい」と。陵侑は「陵は小高い丘のイメージ。人に紛れても目標を見失うことなく、少し小高いところに立って取り組むべきことが見られるように。侑は助けるイメージ。自分がよければいいというわけではない」の思いを込めている。

 兄はW杯個人戦63試合目にしてついに初優勝、総合6位は日本人トップ。弟も結果を残し続け、兄弟で代表の座をつかんだ。団体戦は兄弟同時出場が予想され、2大会連続のメダルを目指す。多忙のため、年に1回程度しか帰省してこないが「潤志郎はメダルの期待もあるが、楽しんで欲しい。陵侑は身につけた経験値も生かして、誇りを持ってやって欲しい」とエールを送った。【秋吉裕介】

 ◆小林家 宏典さんは岩手県中学体育連盟の専門委員長を経て現在、県連盟の強化委員、県中学体育連盟の専門部員を務める。4きょうだいは全員、盛岡中央高に進学。長女の諭果さん(23=CHINTAI)は早大4年時に17年ユニバーシアード冬季大会で団体戦金メダル、個人戦銅メダルを獲得。現在高1の第4子三男の龍尚(16)は、昨年全国中学大会で4位入賞。平昌五輪にはテストジャンパーとして帯同。