鬼塚雅(19=星野リゾート)が39・55で19位に終わった。

 11日の予選が強風で中止になり、出場26人全員が2回の演技で順位を決める方式となった決勝。逆転を狙った決勝2本目の1つ目のジャンプで大きな1回転半を決めるが、その後のジャンプで大技を出せず得点は伸びなかった。「自分の滑りが出来なくて悔しい」「五輪あまり好きじゃないと思いました」。鬼塚は唇をかんでこう振り返った。

 熊本市出身。5歳でスノーボードを始めると、小学生時代は両親どちらかが運転する車で、片道約2時間の距離にある福岡市内の施設に通い、腕を磨いた。7歳の時にはすでに「世界一になる」と目標を掲げた。8歳で大手用具メーカーとスポンサー契約を結ぶなど幼少期から、その才能は注目されていた。当時15歳だった14年ソチ五輪は出場こそ逃したが、翌年の世界選手権は16歳3カ月の若さで制し、17年世界選手権も銅メダルを獲得していた。

 W杯で今季はスロープスタイル1度、ビッグエア2度の2位。昨年末に、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)代表に選出されると、五輪前全ての大会を欠場。試合から離れ、時間をすべて練習に充てた。異例の調整で臨んだ初の五輪でも実力を発揮。世界トップライダーであることを証明していた。【上田悠太】