東京五輪の男女マラソン代表が64年大会銅メダルの円谷幸吉さんの墓参りをすることが2日、分かった。日本陸連幹部の発案で、8日に決定する男女各3人の代表選手が、来週中にも円谷さんの故郷である福島・須賀川市を訪問する。1日の東京マラソンで日本記録を更新し代表入りへ大きく前進した大迫傑(28=ナイキ)も代表に決まった場合、世界との厳しい戦いを前に地元五輪の重圧の中で快走した故人の遺志を受け継ぐことになる。

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マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)を実施するなど、代表選考方法から大きく変えた日本陸連の東京五輪への最後の施策が「墓参り」だった。本番を前に故人の足跡を知り、選手の思いを1つにするのが目的。これまでチームとして訪れたことはないが、地元開催の今回初めて代表チームとして訪問する。

墓参りには、円谷さんとともに東京五輪を戦った君原健二氏(78)と寺沢徹氏(85)も同行する。2人の、故人への思い出や地元五輪を前にした心構えも、5カ月後にレースに臨む選手たちの糧になる。すでに、2人には代表選手たちとの同行を依頼し、快諾を得ている。

1日の東京マラソン終了後、日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦氏は「ワンチームで戦う」と言った。各所属での強化が主となるマラソンでは、日本代表チームとしての長期の合宿は難しい。それだけに、故人の熱い思いを共有して「地元五輪で世界と戦う」気持ちを1つにすることが重要になる。

スポーツの世界で故人に学ぶことは珍しくない。柔道日本代表チームが嘉納治五郎氏の墓参りをするのは恒例。競泳日本代表チームは東京・北区の国立スポーツ科学センターにある「フジヤマのトビウオ」古橋広之進氏の記念碑に必勝を誓う。歴史を知ることは、今を戦う力にもなる。

56年前、敗戦からの復興を目指す日本に元気を与えたのが円谷さんの走りだった。沿道では多くの都民が声をからし、その走りを後押しした。今も「64年東京五輪の一番の思い出」にマラソンをあげる人は多い。「五輪の華」は東京ではなく札幌開催になったが、大会における重要性は変わることはない。日本代表選手たちが「円谷さんの熱い思いを胸に」札幌で世界に挑む。

◆64年東京五輪と円谷幸吉 1万メートルで6位入賞。マラソンでは持ちタイムトップの寺沢徹や最終選考会1位の君原健二(円谷は2位)が有力と見られていたが、トップ集団でレースしてアベベ(エチオピア)に次ぐ2位で国立競技場へ。トラックでヒートリー(英国)に抜かれたが3位でゴールし、国立競技場に初めて日の丸を揚げた。その後は相次ぐケガや結婚を認められないなど苦悩の連続。メキシコ五輪直前の68年1月9日に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残して自殺した。27歳だった。