男子100メートルで多田修平(25=住友電工)が初優勝し、東京オリンピック(五輪)代表に決まった。追い風0・2メートルの決勝を10秒15で制した。5年前のリオデジャネイロ五輪時は無名だった男が、初の五輪で1932年ロサンゼルス大会の吉岡隆徳以来、89年ぶりとなる決勝進出を誓った。

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夢に向かい、無心で走った。雨上がりのトラック。得意の前半で多田は先頭に出た。史上最高レベル、0秒01の差で運命が変わる決勝。山県が並びかけ、ライバルが追ってきた。「正直あまり記憶がなくて…。ずっとゴールだけを見て走りました」。フィニッシュラインを走り抜け、右拳を上げた。手をたたき、跳びはねた表情は、笑顔だった。

「僕は2位とか、4位の選手だった。こういう大きな舞台で1位を取れて、うれしい気持ちでいっぱいです」

地元大阪の会場が拍手に包まれ、涙が頬を伝った。

リオデジャネイロ五輪を控えた5年前、日本選手権は準決勝敗退。10秒55で組内の8人中最下位だった。当時は東大阪市の実家から地下鉄、阪急電車を乗り継ぎ、1時間半かけて兵庫・西宮市の関学大へ通っていた大学2年生。東京五輪には遠い立場だった。

そのオフ、大阪陸上協会の支援で行われた米国合宿。初めて海外で試合に出た。「僕は細身。周りは2~3倍あるので不安も、抵抗もあった。でも1度経験したら、怖いイメージがなくなった」。自分の中でのリミットが外れた。17年6月に追い風参考ながら9秒94を出し「そこで五輪を意識し始めた」。わずか1年で日本選手権2位、世界選手権(ロンドン)400メートルリレー銅メダルと躍進。期待と重圧を同時に背負った。

後半の失速を克服したい-。翌18年から変化を求めた。得意の序盤でピッチを抑え、最高速度地点をやや後半に持っていく意識に変えた。だが、左右のバランスは崩れ、足元のラインを何度も踏みそうになった。注目される中で足踏みが続き「試合に行きたくないと思った」。笑顔が減った。

17年に記録した10秒07の自己記録更新は、今月6日だった。今季はウエートトレーニングのみの日を設け、変化しつつ、自称「バネバネしい走り」を求めた。前日24日に25歳となり「最高の誕生日プレゼントになった」と喜んだ。だが、真の復活と思っていない。

「2017年以上の走りを目指している。この決勝の走りでは、世界のトップに勝てない。もっと練習を積み、地力をアップさせて、五輪のファイナリストになりたいと思っています」

日本一の男として、今度は国立で笑う。【松本航】

<多田修平(ただ・しゅうへい)アラカルト>

◆生まれ 1996年(平8)6月24日、大阪・東大阪市

◆競技歴 石切中(東大阪市)で陸上と出会う。大阪桐蔭高、関学大を経て、19年春に住友電工入社

◆成績 17、19年世界選手権400メートルリレー銅メダル、18年ジャカルタ・アジア大会金メダル。100メートルの自己ベストは10秒01(21年6月、布勢スプリント)

◆趣味 カメラ。関学大時代のお気に入りの1枚は「(大阪の)十三から撮った梅田の夜景です」

◆座右の銘 努力

◆好きな食べ物 すし、スイーツ、肉

◆家族 両親と弟

◆サイズ 176センチ、66キロ。足は27・5センチ