今日27日は、東京オリンピック(五輪)体操団体総合決勝が行われる日だった。「幻の20年夏」、第3回は内村航平(31=リンガーハット)が見据えていた覚悟と使命感を、ある1つの行動から書き起こす。ケガの影響で苦渋の決断から断念した団体総合に、何を懸けていたのか。悲願を達成したリオデジャネイロでの団体の金メダルとは異なる、母国五輪だからこその真意があった。

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内村は、超越していた。

19年1月、都内のナショナルトレーニングセンターの練習場。つり輪の演技を何度も実演していた。「僕はこんな感覚でやってます」。それを見つめる日本代表候補の若手らの姿。

繰り返したのは「後方伸腕伸身逆上がり中水平」。腕と脚を伸ばし後方に逆上がりのように回転し、そのまま地面に水平で静止する技。F難度の得点源で、演技冒頭に組み込む選手が多い。視線の向き、力の入れ具合、選手ならではの感覚を、丁寧に言葉に落とし込み、包み隠さずに伝えていった。

本来、これはありえない。コーチではない。技術を他選手に教える義務はない。伝授した相手は、普段から一緒に練習する仲間とはいえ、ライバルでもある。東京五輪の団体総合の代表枠は4人。争うことを考えれば、「包み隠す」ことが当たり前だろう。ただ、違った。「キング」は富をためらいもなく、配分した。

この中水平は、筋力的に日本に勝る欧米勢、特にロシアが得意とする。体を水平に保つには、パワーが必須に見える。日本人は体が斜めになり、技の出来栄えを示すEスコアでの減点につながりがち。「ロシア勢はなぜみな水平に保てるのか?」。その謎を解明したのは、内村に専属で付く佐藤コーチだった。ロシア出身のコーチに何時間も食らいつき、秘密を聞き出した。目線を下にし、力で姿勢を支えずにシーソーの原理のように動かす。運動の理があった。筋力は関係ない。衝撃の謎解きだった。

内村は実践し、そして手応えがあった。水鳥・男子強化本部長に、こつの共有を願われると、ためらわず首を縦に振った。「伝えないで終わるより、やってみてだめだったらやめればいいし、合う選手は絶対にいるから」。しかし、なぜ? 「僕個人で勝つより、団体で勝つ方が競技の普及につながる」。リオデジャネイロ五輪で団体で頂点に立ったが、競技はマイナーなままだった。打開するため16年末にプロにもなった。愛する体操のメジャー化へ最大の起爆剤は、「東京五輪団体優勝メンバー」が存在すること、1人ではなく。そこに「我」を超えた視座があった。

20年6月26日、種目別の鉄棒に絞ることを発表した。苦しむ両肩痛は、こだわり続けた団体での「インパクト」を奪った。ただ、配分された富は、その技術を使うかを問わず、各選手に覚悟と使命感を植え付けただろう。東京五輪、2度目の1年前となった23日、内村は言った。「自分1人で何もできなかった。仲間に助けられた」。それは、内村を囲む仲間のせりふでもある。【阿部健吾】

◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡県生まれ。3歳から両親が運営する長崎・諫早市の「スポーツクラブ内村」で体操を始める。東京・東洋高から日体大に進学し、11年にコナミスポーツ入り。16年12月にプロ転向。五輪は08年北京大会で個人総合と団体で銀、12年ロンドン大会で個人総合金、団体と種目別床運動で銀、16年リオ大会では個人総合で2連覇、団体で金。世界選手権は09年から個人総合6連覇。162センチ、52キロ。ツイッター:@kohei198913