1964年東京オリンピック(五輪)の体操女子団体の銅メダリストで、元参議院議員で国家公安委員長などを務めた小野清子さんが13日に死去した。85歳だった。

新型コロナウイルスに感染して治療中だった。体操男子五輪金メダリストの小野喬さんと夫婦で60年ローマ、64年東京と五輪2大会連続出場。2児の母として臨んだ東京大会で体操女子日本史上唯一のメダルを獲得した。86年の参院選に自民党から出馬してメダリスト初の国会議員となり「サッカーくじ法」成立にも尽力した。

◆小野清子(おの・きよこ)1936年(昭11)2月4日、宮城県岩沼市生まれ。生後3カ月で父が他界して秋田市へ。秋田北高から東京教育大(現筑波大)へ進学。60年ローマ五輪体操団体4位。64年東京五輪は同銅メダル。86年参院選で初当選。計3期で国家公安委員長や参議院予算委員長などの要職に就いた。日本オリンピック委員会(JOC)副会長や日本スポーツ振興センター(JSC)理事長なども歴任し、08年に旭日大綬章を受章。夫は日本人最多13個の五輪メダルを獲得した小野喬さん。子供は2男3女。