近代オリンピック(五輪)124年の歴史で初めて延期が決定した衝撃の「3・24」から一夜明け日刊スポーツでは、延期へ突き進んだ背景を追う「史上初の五輪延期 2021年の東京2020」をスタートします。3月初旬には「聖火到着式の縮小」が報じられる程度だった事態が急転したのは五輪発祥の地、ギリシャだった。全5回で日本側と国際オリンピック委員会(IOC)、選手、競技団体などの目線から激動の1カ月を振り返る。

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真っ青に晴れた今月19日のギリシャ・アテネ。聖火引き継ぎ式を実施するパナシナイコ競技場に目を落とすと、異様な光景があった。5万人収容の広さに関係者が20~30人程度、日本人記者は日刊スポーツ、一般紙1人、民放1人の3人しかいなかった。新型コロナの世界的感染拡大により、ギリシャ政府は同16日、入国者に14日間、自宅かホテルでの待機を義務づけたため、直前に入国予定だった報道機関は取りやめざるを得なくなった。

この7日前の12日、アテネから西に約300キロ山奥へ入ったオリンピアでの採火式。IOCトーマス・バッハ会長らと、大会組織委員会など日本側幹部との会合が持たれた。場所も時間もメディアには公開されなかった。

IOCが日本側に提案したのが、出場選手の「特別枠」を設けること。新型コロナの影響で各地の予選会が予定通りに行われなかった場合を想定したもの。仮に予選ができなくとも当然、五輪に出場できたであろう実力者やレジェンドの出場は認める、超法規的なものだった。

複数の会合出席者は「延期、中止の話は一切でなかった」と話す。ある出席者は「バッハ氏やコーツ氏は日本の政治家よりしたたかだ」と漏らした。その後、10日余りの間にバッハ氏はメディアを通じ「違うシナリオも検討」「延期は簡単ではない」などと微妙に言い回しを変え、日本側をけん制した。

IOCは常に優位な立場に立とうとする。先に延期や中止を口にすれば、依頼した側になる。これまでも隙あらば費用負担を求めてきたのがIOC。その立場にならぬよう、日本側の出方をうかがっていたと見る向きもある。現に急転直下、競技会場を東京から札幌に変更したマラソンの追加経費について、IOCは依頼した側にもかかわらず、いまだ、負担金について明言していない。

採火式の頃、霞ケ関の高級官僚の間では「延期論」が駆けめぐっていた。トランプ米大統領が1年間延期について言及したのも日本時間の13日未明。大会関係者によると、延期決定までの間、森喜朗会長は安倍晋三首相と密に電話連絡を取っていたという。日本側にとって最悪のシナリオは「中止」。これだけは避けたい思惑が加速していく。

13日にはギリシャ国内での聖火リレーが観客殺到のため中止に。16日には組織委が福島、栃木、群馬での同リレー沿道観覧への自粛を要請すると認めた。17日には、森会長らがギリシャ渡航断念を表明し翌日、関係者を乗せず聖火特別機がアテネに向かった。

ギリシャでのリレーが中断しても、組織委は粘り強く調整した。聖火が日本に来る前に途絶えたら、本大会の中止がちらつく。武藤敏郎事務総長は延期が決まる前日の23日まで「聖火リレーは26日スタートに変わりない」と言い続けた。延期の本決定まで、自ら五輪開催への「希望の火」を消すわけにはいかなかった。【三須一紀】(つづく)