村山実に似てる…52年前の防御率0.98に挑む青柳晃洋/物語のあるデータ〈5〉

今季は「投高打低」だと言われます。佐々木朗、東浜、山本、今永。すでに4度も達成された無安打無得点が、その象徴です。投手成績を見ると、阪神青柳晃洋投手(28)が際立っています。12勝1敗、防御率1・38(8月2日時点)。大先輩となる村山実以来、52年ぶりの防御率0点台が現実になる可能性もあります。驚いたのは村山の写真。ザトペック投法と称された豪快なフォーム…「ヤギさん」とそっくり!

プロ野球

◆村山実(むらやま・みのる)1936年(昭11)12月10日、兵庫県生まれ。住友工―関大を経て59年阪神入団。62年MVP、沢村賞3度、ベストナイン3度など、多くのタイトルを獲得。70年から兼任監督。72年途中に指揮権を返上して選手専念も、同年引退。背番号11は永久欠番に。88、89年に再び阪神監督。93年殿堂入り。現役時代は175センチ、83キロ。右投げ右打ち。98年8月22日、直腸がんのため61歳で死去。

◆村山実(むらやま・みのる)1936年(昭11)12月10日、兵庫県生まれ。住友工―関大を経て59年阪神入団。62年MVP、沢村賞3度、ベストナイン3度など、多くのタイトルを獲得。70年から兼任監督。72年途中に指揮権を返上して選手専念も、同年引退。背番号11は永久欠番に。88、89年に再び阪神監督。93年殿堂入り。現役時代は175センチ、83キロ。右投げ右打ち。98年8月22日、直腸がんのため61歳で死去。

◆青柳晃洋(あおやぎ・こうよう)1993年(平5)12月11日、神奈川県生まれ。小5から寺尾ドルフィンズで野球を始め、生麦中では3番手投手。川崎工科時代は甲子園出場経験なし。帝京大では4年秋にリーグ最多の6勝。15年ドラフト5位で入団し、19年にキャリアハイの9勝。183センチ、80キロ。右投げ右打ち。

◆青柳晃洋(あおやぎ・こうよう)1993年(平5)12月11日、神奈川県生まれ。小5から寺尾ドルフィンズで野球を始め、生麦中では3番手投手。川崎工科時代は甲子園出場経験なし。帝京大では4年秋にリーグ最多の6勝。15年ドラフト5位で入団し、19年にキャリアハイの9勝。183センチ、80キロ。右投げ右打ち。

★1点あれば勝てる

青柳が今季、安定した投球を続けている。8月2日の巨人戦を投げ終えた時点で両リーグトップに立つ。16試合、117回 1/3 を投げて防御率1・38。0点台は見えていないだろうが、自責点を増やさず、投球回数が多くなれば、防御率は下がる。

仮に180イニングを投げるとして、自責点20なら防御率は1・00。ここから 1/3 でも増やせば、0点台に突入する計算だ。

1950年(昭25)に2リーグ制となって以降、防御率1点のカベを破ったのは村山実しかいない。

70年に記録した防御率0・98がそれだ。味方に1点あれば勝てるという数字。この年の村山は25試合、156イニングを投げて、自責点17。試合ごとに見ると、自責点3が最多で1試合、2点が4試合、1点が6試合で、0点が14試合あった。完封は5試合を数えた。

★最終盤で完封 1・04→0・98

村山が10月18日のヤクルト戦を投げ終えて、こう口を開いた。「勝ってよかった。苦しかった。(バックが)よう守ってくれた」。親指にできたマメが、パックリ割れていたという。

4-0。シーズン最後の登板で完封勝利を挙げた。首位巨人と1・5ゲーム差で臨んだ試合は、9回128球を投げて被安打7、4奪三振、5四球。登板前の防御率1・04が、0・98に跳ね上がった。この数字を聞かされると「何も言うことないですな」とだけ話した。

この年は、プレイングマネジャー(監督兼任)に就任した1年目だった。プロ12年目の33歳。投手としては65年の25勝をピークに、下降線を描いていた。

兼任監督初年度、1970年の村山。この年防御率0・98を達成、7月7日大洋戦で200勝もクリアしている。チームは巨人と2ゲーム差の2位。漫画を地でいく世界だ

兼任監督初年度、1970年の村山。この年防御率0・98を達成、7月7日大洋戦で200勝もクリアしている。チームは巨人と2ゲーム差の2位。漫画を地でいく世界だ

67年には右手指の極端な冷えを訴えて、血行障害と診断された。フォークボールの投げすぎが原因と言われ、担当医に「フォーク禁止令」を出されたこともある。

といって新監督に「投手村山」は欠かせない。血行障害は手から腕へと進行していたが、投球は続けた。女房役を務めた辻恭彦が、当時を思い出した。

「腕が満足に上がらんから、ちょっと下げて投げた。そしたらすごいボールが来るようになった。打たれたことはなかったなあ」

徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。