板東英二の83奪三振はアンタッチャブル・レコードに…「球児を守る」と無縁のあの頃

ナイターの多い大会になった。第105回全国高校野球選手権だ。初日の第3試合に始まり、10試合を数えた。暑さ対策に導入したクーリングタイムの影響もあったろう。今大会はベンチ入り20人、延長10回からのタイブレークと選手の負担減に大きく踏み出した。その第1歩は65年前、40回大会の延長18回打ち切りになる。板東英二(徳島商)のナイターに及ぶ力投を止めたが、皮肉にも4連投を強いる結果になっていた。

高校野球

準々決勝vs魚津 3時間38分の熱戦

今大会の平均試合時間は2時間22分だった。昨年より約6分増。1時間台は4試合で、昨年9試合の半分にも満たなかった。

10分間のクーリングタイムを設けたことで、第2試合以降の開始予定を遅らせた。第4試合は前年より15分遅い15時45分。それでも最も早い開始で16時11分だった。

第4試合(9試合)はすべてナイターになった。西宮近辺の日没は、開幕時期で19時直前、決勝日には20分ほど早くなる。イニング終了のタイミングを見て18時過ぎに点灯された。

準々決勝で仙台育英に敗れ、涙を流し甲子園を後にする花巻東・佐々木麟太郎。この第4試合の時間は16:13~18:52の2時間39分だった=2023年8月19日

準々決勝で仙台育英に敗れ、涙を流し甲子園を後にする花巻東・佐々木麟太郎。この第4試合の時間は16:13~18:52の2時間39分だった=2023年8月19日

40回大会の準々決勝、第4試合の徳島商-魚津(富山)は、16時25分に始まった。徳島商の板東英二は速球を武器に真っ向勝負、対して魚津の村椿輝雄は右横手からのシュート、カーブで打たせて取る投球。両軍無得点のまま延長に入った18時25分、照明に灯がともった。

100回大会を前にしたころだった。テレビ局の楽屋に板東氏を訪ね、当時を聞いた。「ナイターになって涼しかった。練習では飲ましてもらえなかった水も試合中は飲めたし、しょっちゅう首筋にかけていました。疲れは感じてなかったと思います」。

徳島商・板東英二は決勝までの6試合、腕を振り続けた=1958年8月

徳島商・板東英二は決勝までの6試合、腕を振り続けた=1958年8月

エースで4番、主将でもあった。週刊朝日増刊号の選手紹介には169センチ、66キロとある。小さな右腕は、延長に入っても疲れを見せなかった。

こんな数字が残る。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。