【賭】天下の太田誠に「鈴木に回せ」「しょうがないから、握手してやるよ」と言わせた

2022年、巨人から11年ぶりに新人王が誕生しました。守護神の大勢投手(23)がセ・リーグの最優秀新人賞を受賞。新人歴代最多タイの37セーブをマークした剛腕は、阪神大学リーグの関西国際大からプロ入りしました。同大学が輩出した5人目のプロ野球選手で、10年日本ハム榊原諒、12年ロッテ益田直也に続く3人目の新人王でした。関西国際大を率いる鈴木英之監督(55)は、PL学園(大阪)―駒大―神戸製鋼で選手生活を送り、指導者の道へ。黄金時代のPL学園のDNAが、令和の時代にも新人王を生み出しました。その軌跡を振り返ります。全5回の中型連載、第4話。(敬称略)

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◆鈴木英之(すずき・ひでゆき)1967年(昭42)3月8日、大阪府生まれ。PL学園(大阪)では背番号15でベンチ入りした2年夏に全国制覇。正中堅手の3年春夏は甲子園準優勝。駒大では4度のリーグ優勝を経験し、4年秋には首位打者を獲得した。社会人野球の神戸製鋼に進み、監督も務めた。03年から関西国際大監督に就任し、同大学の経営学部経営学科准教授も務めている。

不振に骨折 3年時の苦節

関西国際大を率いる鈴木英之は1985年の春、PL学園(大阪)を卒業し、駒大に入学した。広島元ヘッドコーチの大下剛史、横浜(現DeNA)元監督の大矢明彦、アテネ五輪の日本代表監督やDeNAで監督を務めた中畑清らを輩出した強豪大学で、1年春からメンバー入りを果たした。

鈴木春、秋とずっとベンチに入れてもらって、太田(誠)監督に「来年は3番だ」と言われて2年の春のリーグ戦では3番で使っていただいたんですが、結果が出なかった。もうそこから僕、3年の1年間、骨折したりもあったんですが、野球してないんですよ、ほとんど。4年の春もろくすっぽ。代打ばっかりで。

当時の高校球界の最強校・PL学園で、2年夏に全国制覇、正中堅手だった3年春夏は甲子園で準優勝。申し分のない実績で大学に進み、好スタートを切った。

太田は大学全日本の監督も務め、大学球界のドンとして長く君臨した。立食パーティーで東海大・原辰徳、法大・江川卓と=1977年6月23日

太田は大学全日本の監督も務め、大学球界のドンとして長く君臨した。立食パーティーで東海大・原辰徳、法大・江川卓と=1977年6月23日

だが、鈴木は自身の大学時代を振り返るとき「山あり谷ありで、谷の方が多かった」と苦笑する。〝谷〟にはそういう意味があった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。