【恩師の愛情】センバツの外野ノック「あかんやろな…」/龍谷大平安・川口知哉〈5〉

龍谷大平安(京都)の師弟がこの春、立場を変えてセンバツに臨みます。原田英彦監督(62)と川口知哉コーチ(43)です。1997年夏の甲子園でエース川口は大会全6試合完投で準優勝の立役者となり、同年秋にオリックス1位でプロへ。だが結果を残せず、未勝利のまま04年に引退。その後、女子プロ野球の指導や会社の営業職で奮闘する姿を見守り続けた恩師の尽力で昨年4月、野球部コーチとして母校に戻りました。不運が続いてもまっとうな生き方を貫いた左腕が違う立場で監督を支え、平安の球史をつないでいきます。5回連載の最終話。(敬称略)

高校野球

京都3位の「下克上」

2021年4月、龍谷大平安(京都)の監督、原田英彦と川口知哉は、再び甲子園を目指してタッグを組んだ。27年前は監督とエース。今度は監督とコーチの立場になった。

昨夏は京都大会決勝で、21年夏4強の京都国際に逆転負け。同じ相手に昨秋も、京都の準決勝で4-14と完敗した。

3位決定戦で鳥羽に1点差で競り勝ち、なんとか近畿大会に進んだものの、センバツへの道は京都3位からの下克上しかなくなった。

川口平安に来た以上は結果残さんと。そういう思いはありました。

チームを預かる責任感が、のしかかった。

普段の川口は、優しい。原田が「高校のときから1度も、怒っているのを見たことがない」と苦笑するほど。それでも、負けず嫌いな魂が川口の心の中にあふれている。

川口選手が育てへんかったら、自分のせい。活躍できへんかったら、自分のせい。試合に負けるのも、自分のせいって思ってますから。試合に勝つのは当たり前って自分で思ってるんで。たぶん、目標の設定値は高いんですよ。ぼくは、負けるのがすごく嫌いなんで、試合に関しては。

優しく選手と会話する姿とは対照的に、胸の中には「負けず嫌いの魂」=2022年4月

優しく選手と会話する姿とは対照的に、胸の中には「負けず嫌いの魂」=2022年4月

かろうじて出場権は得たものの、秋季近畿大会までにチームを建て直さなければならなかった。頼みは、スリークオーター右腕のエース桑江駿成(2年)だった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。