【26年ぶり帰還】名伯楽・原田英彦の下で再びの春/龍谷大平安・川口知哉〈1〉

龍谷大平安(京都)の師弟がこの春、立場を変えてセンバツに臨みます。原田英彦監督(62)と川口知哉コーチ(43)です。1997年夏の甲子園でエース川口は大会全6試合完投で準優勝の立役者となり、同年秋にオリックス1位でプロへ。だが結果を残せず、未勝利のまま04年に引退。その後、女子プロ野球の指導や会社の営業職で奮闘する姿を見守り続けた恩師の尽力で昨年4月、野球部コーチとして母校に戻りました。不運が続いてもまっとうな生き方を貫いた左腕が違う立場で監督を支え、平安の球史をつないでいきます。5回連載の第1話。(敬称略)

高校野球

母校コーチに…センバツ決定「ほっ」

真冬の寒さを忘れる、幸せな時間だった。

1月27日、JR京都駅からほど近い龍谷大平安に、4年ぶりのセンバツ出場決定の知らせが届いた。

昨秋の近畿大会で4強入りし、当確ランプをともしてはいた。それでも「決定」の喜びは、格別だった。原田にとっては、4年前とは違う思いもあった。

原田こうなると思わなかった。全く想像もつかなかった。26年前でしょ。それほどの時を経てね。まだ実際に立っていないからわからないけど、おそらく甲子園に入った瞬間、なんとも言えん気持ちになる。あんまり考えんようにしようと思いますけど。

4年ぶりのセンバツ出場が決まり帽子を高々と投げて喜ぶ龍谷大平安ナイン=2023年1月27日

4年ぶりのセンバツ出場が決まり帽子を高々と投げて喜ぶ龍谷大平安ナイン=2023年1月27日

視線の先に、目尻にしわを刻んだ川口がいた。昨年4月1日、コーチとして原田の隣に戻ってきた男は、25年前の97年、第69回選抜大会のエースだった。

◆川口知哉(かわぐち・ともや)1979年(昭54)8月25日生まれ。京都府出身。平安では97年春夏連続で甲子園出場。元阪神、ヤンキースの井川慶(水戸商)現阪神の能見篤史(鳥取城北)と並び「高校生左腕3羽がらす」と呼ばれた。97年ドラフト1位でオリックスに入団。通算9試合0勝1敗、防御率3・75。04年に引退し、10年から京都コーチなどで女子プロ野球に携わり、18年に監督就任した京都でリーグ連覇。22年、母校のコーチに就任。現役時代は184センチ、86キロ。左投げ左打ち。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。