【家族の力・黒木知宏×MEI】ロッテチアの「ジョニ子」…奇跡の奇跡で父と「同僚」

ロッテ公式チアパフォーマー「M☆Splash!!」のMEI(メイ)は、「ジョニー」の愛称で親しまれてきた「魂のエース」ロッテ黒木知宏投手コーチ(49)を父に持つ。22年からチームに加入して2年目のシーズン。一方、父は今季から16年ぶりにロッテのユニホームを着てチームに復帰した。本拠地ZOZOマリンを中心に、「父娘」でともにリーグ優勝&日本一に挑み、違った立場で奮闘中。温かく、時には熱く-。

(数々のステキな写真はロッテ球団さまに提供していただきました。いつもありがとうございます!!)

プロ野球

公式チア「M☆Splash!!」2年目

MEI私もジョニ子って言われます(笑い)。

父について語る大きな瞳は、きらきらと輝いていた。

MEI最初は「なんでジョニー?」なんだろうと思っていて…。学校の同級生に「ジョニー? ハーフなの?」なんて聞かれることもあって。マリーンズファンには定着、浸透しているので、私も愛着が湧いていて、うれしいですね。レプリカユニホームに「ジョニー」、「JOHNNY」とかって入れてくれている人はいるとうれしい

ジョニ子ってのは、とんねるずの貴さん(石橋貴明)が最初に呼んでいて。ロッテファンの方も。M☆Splash!!のMEIだけど、ジョニ子でもあるか~って思いながら過ごしています。

千葉マリンでの引退式で父に花束を渡すMEI(中央)(本人提供)=2008年3月15日

千葉マリンでの引退式で父に花束を渡すMEI(中央)(本人提供)=2008年3月15日

95年から07年までロッテの「魂のエース」として活躍し、00年シドニー五輪にも出場した父のマウンド姿は、ほとんど記憶にはない。だが、ファンに愛されていた姿は実感している。

MEIものごころついた時は、ケガしてリハビリをしていた時期がほとんどだったんですけれど、復帰して05年に優勝した時だったり。一番記憶に残っているのは引退試合の時。

皆さんに言っていただけるように「魂の熱い男だな」って思っていて、それはけっこう家の中でも熱い男なんですけれど、本当に自分を犠牲にしてもチームのために勝つという、その姿勢がすごいなと私は思っていました。

「バレエも勉強も全部やめちまえ」

魂の熱い父-。今でもその魂はMEIの心に深く刻まれている。

MEI3歳からバレエを始め、ずっと今もやっているんですけれど、本当に厳しかったです。常に。何事にも全力でやることを父を見て教わっていたので、中途半端にしているとすごい怒られていた。けっこう私は好奇心旺盛なので、いろいろなことに興味持ったら、すぐに取り組むタイプなんです。

でも、自分に合わないかもと思った瞬間にすぐ、や~めたとか中途半端にしていると「なんでやるって言ったのに、最後までやりきらないんだ」としかられることもありました。人間としてもパフォーマーとしても厳しく育てられた思いはありますけれど、自分の中で一番尊敬している人です。

(球団提供)

(球団提供)

小学校高学年。今でも忘れることのない、父の怒り。その時かけてくれた言葉が、今の人生の礎を築いてくれたと言っても過言ではない。

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