甲子園で38年ぶりの優勝 笑わない男が逆転打&大魔神が新庄三振で決めた/連載18

横浜DeNAベイスターズの1998年(平10)以来となる優勝を祈念する企画連載の第18弾は、ついに胴上げの瞬間です。1998年(平10)10月8日、甲子園球場。斎藤隆が先発で踏ん張り、1点を追う8回表に進藤達哉が逆転打を放ち、その裏からは大魔神こと佐々木主浩が登板し、最後は新庄剛志から空振り三振を奪って決めました。球団にとっては1960年(昭35)以来、38年ぶり2度目のセ・リーグ優勝でした。

プロ野球

斎藤隆の部屋をノック

優勝を決めて喜びのナインの胴上げで甲子園の夜空に舞う権藤博監督

優勝を決めて喜びのナインの胴上げで甲子園の夜空に舞う権藤博監督

1998年(平10)10月8日、木曜日。

横浜ベイスターズは、甲子園球場から徒歩数分のホテルに泊まっていました。

前日7日は雨天中止で、2位中日が敗れたためマジックは1。この日は中日の試合がないため、ベイスターズが阪神に勝てば優勝、負ければ持ち越しという明快な状況でした。

午前中、斎藤隆が部屋で休んでいるとドアがノックされました。「ホテルの従業員が、部屋の清掃にきた」と思ってドアを開けたところ、権藤博監督が立っていました。

「今日はお前がいけ。後半戦を支えてくれたお前で決めてくれ」

前年97年に右肘の手術をした斎藤は、開幕直後にリリーフで復活を遂げると、後半は先発の柱としてフル回転していました。権藤監督は最も状態のいい投手に、優勝が決まる試合を任せようと決断しました。

斎藤隆は頼れる存在だった

斎藤隆は頼れる存在だった

当時の新聞をみると、担当記者の私は、7日も斎藤、8日もスライドで斎藤と予想しています。順番でいけば斎藤です。

しかし、実際は戸叶尚が中4日で先発する予定だったそうです。戸叶は3日のヤクルト戦で先発するも、4回1失点、86球でマウンドをリリーフに譲っています。制球が定まらず、ピリッとしなかったからです。

当時の私が、順番通りに斎藤を予想しただけか、権藤監督の真意まで理解して予想したのか。それは記憶もメモも残っておらず、分かりません。ただ、表面的には予想通りの先発でも、その裏では権藤監督と斎藤の間で、そんなやりとりがあったのです。

甲子園に入ると竹田光訓広報が報道陣を集め、優勝が決まった場合の対応を説明しました。胴上げをして、インタビューをして、ホテルに戻ってビールかけ…そんな流れを確認しました。

あと1本が出ない…

1回表、ロバート・ローズの適時打で1点を先制しますが、その裏に斎藤が阪神大豊泰昭に逆転2ランを浴びます。

3回表に波留敏夫の犠飛で同点に追い付くも、4回裏に新庄剛志の遊ゴロの間に1点を勝ち越されます。

斎藤は丁寧な投球でゴロを打たせてアウトを重ねますが、打線にあと1本が出ません。

5、6回と先頭打者が出塁するも、後続が続きません。7回は2死から斎藤、石井琢朗と連打でチャンスを作りますが、波留が左飛に倒れました。

石井琢朗のバッティング

石井琢朗のバッティング

「今日もダメか…」

「いや、横浜に戻れるからいいじゃないか」

記者席では、そんな会話が出ていました。

夏場のマシンガン打線は、いつでも何点でも取れるような気がしていました。しかし、ここにきて1点が遠い。1本のヒットが出ない。重苦しい雰囲気が漂っていました。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。