【平成の開幕戦事件簿・前編】伊東の逆転サヨナラ満弾に 清原「サッカーにない魅力」

2024年(令和6)のプロ野球は、セ、パ両リーグとも3月29日に開幕する。他と同じように全143試合のうちの1試合なのだが、先発に指名された投手は意気に感じ、選手たちは特別な思いを込めてプレーする。「たかが開幕戦、されど開幕戦」である。さて、今回は平成時代の印象深い開幕戦を振り返る。第1弾は1989年(平元)から2003年(平15)。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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◆1990年(平2)篠塚、疑惑の同点アーチ

平成最初の事件といえば、巨人篠塚利夫(のちに和典に改名)の「疑惑の同点弾」だろう。

2点を追う8回裏1死二塁、篠塚が、ヤクルト内藤尚行から右翼ポール際への飛球を放ち、同点ホームランになった。しかし、ヤクルト野村克也監督が「ファウルではないか」と猛抗議した。

1990年4月7日、開幕戦の巨人戦で篠塚和典が放った決勝アーチの微妙な判定に抗議するヤクルト時代の野村克也監督(中央)

1990年4月7日、開幕戦の巨人戦で篠塚和典が放った決勝アーチの微妙な判定に抗議するヤクルト時代の野村克也監督(中央)

この年から審判が6人から4人制になり、線審を廃止していたことから大きな話題を呼んだ。

翌4月8日付の紙面から紹介したい。

野村監督は試合後、怒りをあらわにした。「(審判は)ポールを巻いたって言うんだ。理屈からいって、届くか届かないかの当たりでポールを巻くはずがない。巻くときは、いい当たりでスライスしたときだよ」とたたみかけ、最後に「巨人の方が強いはずだよ」と吐き捨てた。

2点リードで迎えた8回。篠塚のホームランが飛び出すと、野村監督は小走りで山本文球審の元に駆け寄った。すぐに一塁の大里塁審のところにいって、「こっちから見て明らかにファウルじゃないか」と厳しい表情で詰め寄った。5分間に及ぶ執拗な抗議も、ついに受け入れられることはなかった。最も近くで見た右翼手柳田が「ポールから1メートルくらい右に落ちた。審判が手を回しているのを見てビックリした」と、その時の状況を生々しく話したが、判定は覆らなかった。

審判員のコメントも載っている。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。