中華街の決別宣言から日本シリーズ 「最初と最後はお前で決めてくれ」/連載19

横浜DeNAベイスターズの1998年(平10)以来となる優勝を祈念する企画連載の第19弾は、日本シリーズです。38年ぶりのセ・リーグ優勝を果たしたベイスターズは、2年連続でパ・リーグを制した西武ライオンズと対戦しました。ベイスターズ権藤博監督、ライオンズ東尾修監督はプライベートでも親しい間柄とあり、決戦前には両球団の担当記者を交えて食事会を開催しました。ここで「決別宣言」をしてシリーズが幕を開けました。

プロ野球

呉越同舟の食事会

日本シリーズが開幕する2日前の10月15日。権藤博監督と、西武東尾修監督は横浜スタジアムに近い中華街にいました。

第1戦を中継するフジテレビの番組企画で対談をしたのですが、その場に両チームの担当記者も呼ばれていました。

「せっかくだから皆で食事をしよう」

ビールで乾杯し、中華料理を食べながら、大勢で談笑しました。両監督はプライベートでも頻繁にゴルフや食事をともにする、親しい関係でした。

1998年10月15日、日本シリーズ直前に権藤監督(右)と東尾監督は報道陣を交えて食事会を開催した

1998年10月15日、日本シリーズ直前に権藤監督(右)と東尾監督は報道陣を交えて食事会を開催した

東尾監督 さっき、撮影で決別宣言したんだ。和気あいあいとやるのは開幕前夜の午前0時まで。それからは犬猿の仲になるってな。

権藤監督 長い間、トンビ(東尾監督)と犬猿の仲になっているのはイヤだから、4連勝で決めると言ってきたよ。

東尾監督 オープン戦のとき、権藤さんは「日本シリーズで対戦することになれば負けてやるよ」と言ってた。「お前は昨年負けているから」って。

権藤監督 撤回、撤回。もちろん勝つつもりでいますよ。

このシリーズは予告先発で実施されました。両監督が「グラウンドで詰め将棋はしない」と言って採用したのです。予告先発、呉越同舟の食事会と、独特の雰囲気が漂うシリーズでした。

大魔神の魔力

17日の第1戦は雨のため順延になりました。これはベイスターズにとって大きな意味がありました。

大魔神、佐々木主浩が風邪をひいて扁桃腺がはれ、15日の練習を休んでいました。翌16日は練習に参加したものの、咳き込む場面が続くなど、体調が心配されていました。

雨天順延が決まると、佐々木は「楽しみにしていたファンには悪いけど、助かったよ。オレは日ごろの行いがいいから神様がついているんだよね。この1日は大きい」と喜んでいました。

権藤監督も「大魔神には魔力があるんだよ。シーズン中も肘が張って投げられない日に限って、大差で登板しなくていい展開になっていたからな」と、感心するように話していました。

第1戦(10月18日)横浜9-4西武〈横浜1勝〉

ベイスターズは1回裏の攻撃で、石井琢朗がバント安打すると、すかさず二盗でチャンスを広げ、鈴木尚典のタイムリーで先制しました。4回にも石井琢が四球で出ると二盗を決め、この回の3得点に結びつけました。投げては野村弘樹、阿波野秀幸、佐々木へとつなぐ万全のリレーで逃げ切りました。

日本シリーズ第1戦、先頭の石井琢朗が三塁前へバントヒットを決める

日本シリーズ第1戦、先頭の石井琢朗が三塁前へバントヒットを決める

第2戦(同19日)横浜4-0西武〈横浜2勝〉

ベイスターズ先発の斎藤隆が完封勝利を挙げました。わずか3安打1四球と、ピンチもありませんでした。斎藤は試合後「そういえば今日は権藤さんに何も言われなかったな」と振り返っており、これについて権藤監督は「何も言うことがなかった、安定していたし、攻めていた」と大絶賛していました。なお、鈴木尚が4打数4安打2打点と大当たりでした。

鈴木尚典は日本シリーズMVPの活躍を見せた

鈴木尚典は日本シリーズMVPの活躍を見せた

移動日をなくす?

2連勝して西武球場に舞台を移すと、予期せぬアクシデントがありました。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。