【わすれられない味】フロリダ出張2カ月…権藤博さん特製カレーをいただいた/連載2

記者には「忘れられない味」があります。時に孤独に、時にワイワイと食する味は、取材の思い出として記憶と味覚に刻まれます。好評を博した紙面の不定期連載が、プレミアムに初登場。「Season3」をご賞味あれ。

その他野球

横浜の監督を退任後の権藤氏は、メジャーにも精力的に足を運んで評論活動をこなした。メッツ新庄と=2001年3月

横浜の監督を退任後の権藤氏は、メジャーにも精力的に足を運んで評論活動をこなした。メッツ新庄と=2001年3月

「おう、帰ったか」

ホテルのエレベーターを降りると、カレーの匂いが漂ってきた。

04年3月。大リーグ担当として米国フロリダへの出張も2カ月が過ぎた頃で、外食が続く身には、懐かしく、食欲をそそられる匂いだった。

「おう、帰ったか」。自室のドアを開けると、権藤博さんが野菜を切ってサラダを作っているところだった。

鍋をのぞくとカレーは完成し、記者仲間に借りた炊飯器のご飯も炊けていた。権藤さんは98年にベイスターズを日本一に導いた監督で、この頃は評論家として活動していた。

この日フロリダ入りした権藤さんを食事に誘ったところ、「みんな外食にも飽きただろう。今日はオレが作ってやるよ」と言ってくれた。

私が泊まるホテルは長期滞在型で、キッチンや調理器具もそろっていたが、私はまったく料理ができないので1度も使ったことがなかった。私よりも先に取材を終えた権藤さんに、ルームキーを預けておいたのだった。

スーパーを回って

料理が完成すると、他社の記者も部屋に呼んで、ビールを飲みながらカレーを食べた。ご飯が足りなくなって追加で炊き直し、権藤さんが「2、3日は持つだろう」と大量に作ってくれたカレーは、瞬く間になくなった。

マリナーズの佐々木と。師弟関係は変わらず=2001年3月

マリナーズの佐々木と。師弟関係は変わらず=2001年3月

私はハンバーガーやステーキなどのアメリカンフードも好きで、和食抜きの外食続きでも平気なつもりでいたが、やはり手作り料理は身も心も休まった。

何より権藤さんが私たちのためにスーパーを回って日本の食材を手に入れ、料理をしてくれたことがうれしかった。

権藤さんの料理には思い出があった。新監督として迎えた98年の開幕日、私は「権藤さん自炊出陣」という見出しの記事を書いている。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。