【復活への道】日産自動車野球部を追う 退職か異動か…それでも応援をやめない/5

昨年、休部から活動再開した社会人野球の名門・日産自動車野球部が、都市対抗野球本大会(東京ドーム)出場へあと1歩のところで届きませんでした。6月11日の西関東予選第1代表決定戦では東芝に4―5と1点差で敗れ、13日の第2代表決定戦の三菱重工East戦では2―8と敗退。横浜スタジアムには大応援団が詰めかけましたが、選手も応援席も悔し涙にくれました。会社は世界7工場の閉鎖、約2万人の人員削減など、リストラを進行中。社内外で野球部の活動に賛否両論ある中で、従業員たちは必死に応援していました。「復活への道」へ、再起を目指す選手たち、従業員の姿を追いました。

プロ野球

◆日産自動車硬式野球部1959年(昭34)に創部。社会人野球の「花形」と称される都市対抗野球大会には29度出場、社会人野球日本選手権大会には16度出場。都市対抗野球では65年に初出場し、84年に初優勝、98年に2度目の優勝を飾った。準優勝も3回。日本選手権でも優勝経験がある名門チームだが、業績不振のコスト削減の一環で2009年から2024年まで活動を休止し、2025年1月から活動を再開した。ユニホームには会社のシンボル「ブルーバード」(青い鳥)がデザインされている。現在、部員数は25人。神奈川県・横須賀市に本拠を置く。OBには阪神などで活躍した池田親興投手、川尻哲郎投手、オリックスなどで活躍した川越英隆投手(現ソフトバンク投手コーチ)、広島で活躍し侍ジャパンコーチも務めた梵英心内野手らプロ野球選手を多数輩出。

三菱重工East対日産自動車 都市対抗野球出場を逃し整列に向かう日産自動車の選手たち(撮影・野上伸悟)=2026年6月13日

三菱重工East対日産自動車 都市対抗野球出場を逃し整列に向かう日産自動車の選手たち(撮影・野上伸悟)=2026年6月13日

応援できるのは最後かもしれない

三菱重工Eastに敗れた試合後、野球部長の桝本心さん(53)はグラウンドのフェンス沿いを歩いて外野へ向かっていた。

内野席の応援団へ深々と一礼すると、約15秒、頭を上げることができなかった。選手や関係者、報道陣でごった返すベンチへそっと戻ってくると、目を真っ赤にして泣いていた。

「言葉にならないです。試合のことは監督、選手に聞いてください」。

言葉少なに話すと、肩を落として泣く選手たちを見守りながら、またベンチに座って泣いていた。

流した涙には、選手たちが知らない深い意味があった。

桝本部長は2027年末、経営再建計画の一環で、閉鎖する方針の神奈川・追浜工場の人事部長を務める。

約2000人の雇用に影響が出るといわれる、選手も所属する主要工場で人事を総括するポストで、リストラを進める会社側の立場に立つ。

試合当日はコメントできなかったが、後日、涙の真相を明かしてくれた。

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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。