都会で苦悩→故郷で充実 福盛和男さんU・Iターンを目指す人たちへエール/前編

あの「フクちゃん」は今―。プロ野球の楽天などで活躍した福盛和男さん(49)は現在、故郷のテレビ宮崎(UMK)の記者、編集、キャスターの“三役テレビマン”として、充実したセカンドキャリアを送っています。今年2月のWBC侍ジャパンの宮崎合宿などを精力的に取材。取材される側から取材する立場になって奮闘しています。引退してから東京都内の携帯電話設備会社で3年間サラリーマン生活を送りましたが、苦悩の末に退社し現在に至ります。「都会での生活から環境を変えたかった。生まれ育った田舎があって本当に良かった」と話し、都市部から地方へU・Iターンを目指す人たちへエールを送りました。

2回に分けて連載します。

プロ野球


◆福盛和男(ふくもり・かずお)1976年(昭51)8月4日、宮崎県都城市生まれ。都城高から94年ドラフト3位で横浜(現DeNA)入団。横浜―近鉄―楽天―レンジャーズ―楽天と渡り歩いた。入団1年目から1軍で活躍し、横浜では通算24勝13セーブをマーク。05年に楽天のクローザーを務めるなど、NPBでは通算414試合に登板し、41勝82セーブを挙げた。ドジャース山本由伸投手の都城高の先輩にあたり、同校野球部のOB会長を務める。182センチ、82キロ。家族は夫人、長男、長女の4人。



97年横浜時代

97年横浜時代

「取材側から見れば、若いころは、もう最悪な選手」


今年2月のプロ野球キャンプや侍ジャパンの合宿では、福盛さんが取材IDカードを首から下げて走り回っている姿が印象的だった。宮崎県内のファンは地元のテレビ宮崎の画面を通して知っている人もいるが、県外からきたファンは「どこかで見たことがあるけど」と半信半疑の様子。「あの福盛さん…」と驚いているファンも少なくなかったという。

福盛さん今は取材する立場じゃないですか。どちらの立場もすごく分かる。昔、選手の時はヒーローインタビューや記者の人の質問などに、そっけなく答えていたことがあったわけですよ。取材側から見れば、若いころは、もう最悪な選手ですよね(笑い)。


ベテランになってからは(質問に)ちゃんと答えていましたけど、若いときは調子に乗っていたなあ、と。生意気だった。もう戻れるなら戻りたい、本当にごめんなさい、と振り返るときもありますね(笑い)。

取材していて正直、もうちょっとしっかり答えてくれたらなあ、とか思う時もありますよ。そういう時は質問の仕方や内容が悪いのかなあとか。この選手は今、ハアハアしていて疲れていると思うけど、ここでインタビューしたい時もある。でも選手の立場もわかるから、ここでマイク入れたら大変だろうなあ、とか。

いつも、そういう葛藤はすごく感じながら取材していますね。



取材する側になって、元プロ野球選手としてのメリットは感じている。「やっぱり元プロ野球選手という肩書があるので、取材のアポイントメントなんかでは役立ちますね。昔、対戦した選手も現在は首脳陣にいますから。高校野球などを取材する際にも、昔の名前ですけど役立ちます。ほかの記者、キャスターとは違うとは感じます」。


ロッテ・サブロー監督の単独インタビューなど、取材する上でのアドバンテージとなるのは確かだという。「それは今の仕事では、すごく感謝しているところですかね。なんだかんだ言っても、やっぱりプロ野球で頑張った経験は生きていると思います」と振り返った。


なんだかんだ言っても―。

引退してからの3年間は、東京都内の携帯電話の設備関連会社で勤務したことがあった。中央区築地近辺の会社に身を寄せ、よく築地市場へランチに行っていた。


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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。