【村元哉中<中>】姉引退で落ちた気持ち アイスダンスとの出会いが見る景色を変えた

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫ります。

シリーズ第1弾はアイスダンスの村元哉中(かな、29=関大KFSC)。5歳で本格的にスケートを始めた少女は、シングルの選手として全日本選手権10位にまで上り詰めました。

そのモチベーションの源には、欠かすことのできない身近な1人の存在が-。全3回にわたってお届けする物語の中編では、アイスダンス挑戦につながる転機を取り上げます。 

フィギュア

17年4大陸選手権フリーダンスの演技を終えてあいさつする村元、リード組

17年4大陸選手権フリーダンスの演技を終えてあいさつする村元、リード組

「姉より上に」を原動力に

2011年11月6日。日曜日の京都は、午後になって雨が降り始めていた。

観光客でにぎわう阪急電鉄を降り、西京極駅から5分ほど歩くと京都アクアリーナが見える。年の瀬の全日本選手権の切符を懸けた西日本選手権は、この場所でクライマックスを迎えていた。

黒の衣装に身を包んだ村元は、高まる緊張と戦いながらフリーの出番を待っていた。

前日のショートプログラム(SP)は5位発進。冒頭の3回転サルコーこそ乱れたが、懸命に立て直した。フリーは最終の24番滑走。6分間練習を終え、舞台裏で心身の準備を整えた。

アナウンスに導かれ、リンクの中央に立った。右手を挙げ、その肩に左手をそっと乗せて天井を見た。一定のリズムを刻む太鼓の音を合図に演技が始まった。

こだわりのフリーは「ラストエンペラー」だった。最終盤に組み込んだ3連続ジャンプを着氷すると、見せ場のステップに入った。演技構成点の「音楽の解釈」は全選手トップ。総合2位で終えた大会の記憶は、今も鮮明に残っている。

「ラストエンペラーを使った西日本選手権で、姉に勝って、むちゃくちゃうれしかったのを、よく覚えています。シニアになって同じ試合が多かったけれど、基本は姉の方が上手でした。その中でようやく勝てた。姉はケガ明けで本調子じゃなかったけれど、それまでずっと負けていたのが悔しかったんです」

表彰台に立つと、3位の位置に姉の小月(さつき)がいた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。