【大久保嘉人ケンカ伝説〈海外編:上〉】宣言通りのデビュー弾のち病院直行、入院
歴代最多のJ1通算191得点。C大阪FW大久保嘉人が、21年シーズン限りで引退した。その引退会見、サッカー人生一番の思い出を聞かれて、こう言った。「入団した時の磐田戦(01年4月14日)での初ゴール。4年後にマジョルカに行き、デビュー戦(05年1月9日)のアシストとゴールは忘れられない」。その言葉を聞いて、マジョルカで取材していた16年前を鮮やかに思い出した。上下編の上。
サッカー
開始5分でアクシデント
22歳のFWが、世界最高峰のスペイン1部に移籍する。冬の移籍市場で半年のレンタルだった。当時の大久保はJ1通算66試合33得点。一流ストライカーの目安とされる2試合に1得点のペースでゴールを量産していた。現在と違って日本人の欧州移籍は珍しく、スペイン挑戦も城彰二、西沢明訓に続く3人目だった。
日本の期待は高かったが、現地の見方は懐疑的だった。晴れの入団会見で、いきなり現地記者が「テレビ局があなたの移籍金と年俸を肩代わりして加入した、という話は事実か?」と質問した。会見場の隅でクラブ関係者は「実は、私は大久保のことは何も知らない」とこぼした。厳格で有名なクペル監督は、クラブ主導の大久保獲得に前向きではなかった。マジョルカの担当記者は、大久保に「城と西沢は成功できなかったが、成功できる自信はあるのか?」と何度も聞いた。
記者は、大久保とほぼ面識はなかった。移籍前、C大阪での最後の練習で名刺を渡して「スペインにもいきます」と伝えて「えっ」と驚かれた。当時のC大阪担当が海外出張ができなくなって、神戸担当だった記者にお鉢が回ってきた。サッカー担当になって、2カ月だった。
04年12月17日、マジョルカに入った。大久保のデビュー戦は早ければ、05年1月9日のディポルティボ戦。3週間しかなかった。少しでも顔を覚えてもらおうと毎日、練習場の入りを待った。大久保はいつも一番乗りだった。「おはよう」だけの日も多かったが、1人でぽつんと立っている記者の前を、素通りするようなことはしなかった。
物おじしないプレーは練習から全開だった。チームの戦術は堅守速攻。カウンター攻撃で大久保のドリブルは有効だった。練習から味方DFとヒジなどで激しくやりあった。現地で合流して、同僚となったアルゼンチン人カメラマンは「オオクボ、ナイスガイ、カインドリー。バット、イン、ザ、ピッチ、ソー、ダーティー。ホワイ?」と首をかしげた。クペル監督は「大久保はふてぶてしさ、強気な性格を見せる瞬間がある」と、闘争心を評価。ディポルティボ戦での先発デビューが決まった。
大久保は、地元の市長に「デビュー戦での初ゴール」を約束していた。相手の守備を束ねるポルトガル代表DFアンドラーデについて「よく知らない。外国人は体はデカいが、横の動きに弱い選手が多い」とにやり。現地メディアから「本当に活躍できるのか?」と、恒例の質問を受けて「自信はある」と断言した。
記者もデビューゴールを期待する記事を日本に送っていた。日本人の「FW」が、欧州でデビュー弾を決めれば、83年8月の尾崎加寿夫(ビーレフェルト)以来2人目の快挙になる。大久保が衝撃のデビュー弾で、奥寺康彦、中田英寿らMFがメインとされてきた日本人の評価を変える-。そうは書いたが、確信があったわけではない。
05年1月9日、マジョルカの本拠地ソンモイス。大久保は、エースFWルイス・ガルシアとともに2トップで先発した。得意の1・5列目。強豪ディポルティボは堅い守備が持ち味だった。
開始5分、いきなりアクシデントが起きた。大久保が、相手DFセサルと交錯してピッチに倒れ込んだ。相手のスパイク裏で蹴られて、右膝下に穴が開いた。
「相手のとがっているポイントが足に刺さって、膝がすごく熱くなった。傷を見たら白い骨が見えた。もうサッカーできないのかなと思った」
ピッチの外で3分間、治療を受けた。医療用ホチキスで傷口をばちん、ばちんと仮止めして白いテーピングを巻いた。
「初めてホチキスを見た瞬間、こんなのでやるのかよ、おいおいやめてくれよって。でも、とにかく点をとらなきゃいけない。最初にガツンとやられてそこから開き直った」。
手負いで奮闘する姿に、ボールが集まり始めた。後半に入って体が温まり、曲がらない膝も動き始めた。
0-1の後半12分、右サイドからのクロスで、FWルイス・ガルシアの同点ヘッドをアシスト。1-2と再び突き放された同19分、今度は右クロスに対し、左に流れながら、痛む右足で跳んだ。長身DF2人の間で頭を合わせて、同点ゴールを決めた。飛び出したGKの頭上を越えるループ気味の技ありヘッドだった。ゴールを見届けると、右拳で胸をたたいてほえた。
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広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。
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