【照強 引退会見全文】照ノ富士を単独トップに立たせた一番は「相撲人生の中の誇り」
大相撲の元幕内で西幕下36枚目、照強(29=伊勢ケ浜)が19日、春場所が行われているエディオンアリーナ大阪で会見した。前日18日の春場所9日目に引退届を提出、受理されていた。最高位は西前頭3枚目。169センチ、100キロ余りの小柄な体ながら、多彩な技と気迫あふれる取り口、さらには取組前の豪快な塩まきなどでも人気だった。だが糖尿病による体調悪化、体重減などに悩まされ、昨年春場所から幕下に番付を下げ、先場所の七番相撲から休場し、今場所はここまで全休だった。今後は日本相撲協会には残らない。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)同席で行われた会見の一問一答を、全て紹介する。
大相撲
伊勢ケ浜親方 このたび、照強が病気のために引退することになりました。現役時代、多大なるご厚情をたまわりまして、本当にありがとうございました。また今後も第2の人生で、相撲に関わり合いをしながら、頑張ってくれると思います。また今後とも、よろしくお願い致します。
照強 本日は、場所中のお忙しい中にもかかわらず、引退会見を開いていただき、誠にありがとうございます。14年間という相撲人生で、親方、おかみさん、相撲協会の方、また関係者の方々をはじめ、本当に感謝しかありません。これからも頑張りますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。
――14年間の土俵人生、お疲れさまでした。今の率直な思いをお聞かせください
照強 そうですね。悲しい気持ちも、さみしい気持ちもありますが、第2の人生に向けて、ワクワクした気持ちもあります。でも、何よりもちょっと、ホッとした気持ちが一番あります。
――いろんな気持ちがあるということで、まず悲しさ。どんな胸の内ですか
照強 まあ、そうですね。自分自身はもう、悔いがないと思っているんですけど、やっぱり、周りの応援してくださる方々もいらっしゃったので、そういう人たちの気持ちを思って、やっぱり悲しさというのが。
――引退を決断したのはいつですか
照強 そうですね、まあ、体調もどんどん良くなくなっていって、自分の相撲が取れなくなったということで、先場所中に親方の方に相談させていただいて…。まあ、そこから相談を重ねるうちに今回、引退することになりました。
――先場所も最後の相撲を休場。体調はどうだったのですか
照強 そうですね。まあ、糖尿病という病気で。まあ、あの、血糖値が良くなくて、体調がすぐれないということで、師匠の方に申し出て、休場させてもらいました。
――苦渋の決断だったと思いますが
照強 そうですね、まあ…。「もうここまでかな」と、自分の中で、悔いのない決断がついたので、それはそれで、よかったんじゃないかと思います。
――けっして大きくはない体で幕内在位も長かった。力士人生を振り返ると
照強 そうですね。自分1人では成り立たなかったと思いますし、周りの方々に支えられて、やっぱり師匠、おかみさんに、あの…。(約5秒沈黙)。つらい時は助けられて、まあ、みんなで、部屋一丸となって、自分の相撲人生があったんじゃないかなと思います、はい。
――つらい時、師匠からどんな言葉を懸けられたのですか
照強 そうですね、やっぱり、つらい気持ちというか、まあ、相談に乗ってもらった時も「稽古していれば何とかなるんだよ」と。稽古、稽古という言葉が、自分をここまで強くしてくれたんじゃないかなと思います。
――阪神淡路大震災が起きた、まさにその日に生まれたことでも注目された
照強 やっぱり、そういう部分でもたくさん注目されましたし、しっかりとやり切れたんじゃないかなと思います、はい。
――師匠にもうかがいます。引退の相談を受けた時は
伊勢ケ浜親方 長い間ですね、病気ですか。ずっと戦ってきたというか、そういうふうにやってきましたけど…。それは、だんだん悪化していくので。やっぱり命に関わる場合もあるからですね、ここはもう、しょうがないかなという感じで。
――大きくはない体で、非常に稽古もたくさんしていたと思いますが
伊勢ケ浜親方 まあ、稽古はいっぱいしましたね。その稽古の積み重ねで、それが成り立ってきたんでね。よく最後まで頑張ったんじゃないですか。
――多彩な技も持っていたがどこが魅力の力士でしたか
伊勢ケ浜親方 やっぱり小兵ですからね。小さい中で、大きい者を倒すというにはね、いろんな技を駆使してね。いろいろ考えて頑張っていましたから。そこがよかったんじゃないですかね。
――稽古場ではいつも、どんな声を懸けていましたか
伊勢ケ浜親方 とにかく小さい力士って、人の何倍もやらないと追いついていかないですよね。大きい力士に対してですね。だから、何倍も、何倍も稽古して、対等に渡り合えるようにやってきましたけど。
――しこ名の「照強」は、阪神淡路大震災の被災地の方々を明るく照らすような、強い力士に、という願いが込められていたと思いますが
伊勢ケ浜親方 そうですね。十分、やってくれたんじゃないですか。地元にね、だいぶ。地元でもみんな。応援してくれる人はたくさんいましたから。それが励みになったと思いますよ。
――再びご本人に。思い出の一番を挙げるなら
照強 (2020年7月場所の)やっぱり(当時)大関朝乃山関との一番。やっぱり印象深いものがありますよね。
――どういった意味で印象深いのでしょうか
照強 やはり、部屋の横綱、照ノ富士関が(再入幕の東前頭17枚目で)優勝争いしていたところで、自分が14日目に(優勝を争っていた朝乃山と)当たって勝ったという部分で。もう1回、それで(照ノ富士が)単独トップに立たせることができたという、自分の一つの相撲人生の中の誇りじゃないかなと思います。
――足取りで勝った一番。どう臨んだのですか
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高田文太Bunta Takada
1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。
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