【高砂部屋の面々〈7〉】神山と朝乃土佐が引退 第2の人生に幸あれ!

長く高砂部屋を、そして相撲界を支え続けた2人が引退した。最高位が西三段目30枚目の神山と、東幕下21枚目の朝乃土佐。ともに42歳のベテランが、1月の初場所限りで引退届を受理された。2月18日に都内で行われた断髪式では、同じ1981年度生まれで師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)の止めバサミで、まげと別れを告げた。神山は事実上の引退だった、昨年11月の九州場所を2勝5敗。番付にしこ名が残って全休となった初場所は、東序二段87枚目だった。朝乃土佐は西序二段61枚目の初場所を3勝4敗で終えた。今後はともに相撲界を離れる。2人が去って、高砂部屋の力士は22人。春場所はともに24人の佐渡ケ嶽、九重の両部屋に次ぎ、全45部屋の中で3番目に多い力士数となった。

大相撲

川崎市出身、42歳

神山多呂平太(しんざん・たろへいた)

本名・笹川裕太。1982年(昭和57年)1月27日生まれ、神奈川県川崎市出身。1997年春場所初土俵。最高位は三段目30枚目。185.5センチ、121キロ。

8分勝負の世界へ

本場所の土俵では1分足らずの決着が多かったが、現在は「8分」勝負の連続だ。昨年九州場所で事実上引退した神山は、台湾まぜそば「麺屋こころ」の調理場に立っている。今春には愛知県清須市に、自身が店長を務める店舗がオープン予定。昨年12月から、都内の複数の系列店で研修として朝から夜まで、1日何百食作ることもある。おいしさの決め手は麺をゆでる時間。「8分から8分30秒。その間に何ができるかが勝負です」。人気店だけに混雑することも多く、スムーズな料理提供のためにテキパキと動き続けている。

現役時代から職人気質だった。小学校卒業時に身長は170センチ余り、体重100キロ超。「182~3センチ、120~130キロ」という恵まれた体格だった中学卒業後、元小結富士錦の先々代師匠のもとに入門。中学時代は相撲部で、早くから神奈川・川崎市の実家近くに住んでいた、先々代師匠の弟の目に留まっていた。

師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)に止めばさみを入れられる神山

師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)に止めばさみを入れられる神山

1997年春場所で初土俵を踏んだ。力士としては2004年秋場所の西三段目30枚目が最高位だが、多くの横綱に愛され、信頼された。横綱が土俵入りの際に締める綱、中でも雲竜型の綱作りの名人だった。綱打ちと呼ばれる一門の力士が総出で行う綱作りの陣頭指揮を執った。千代の富士、北勝海の還暦土俵入り。特別に作られた本来は不知火型の白鵬の雲竜型の綱に、付け人を務めた朝青龍と鶴竜、さらには稀勢の里の綱も作った。

「技術が継承されないといけないので」と、相撲協会に提案し、職員に綱打ちの様子を複数台のカメラで撮影してもらった。現役唯一の横綱照ノ富士は不知火型。次にいつ雲竜型横綱誕生するかは不明だけに、伝統の担い手という重責を担う、重圧は計り知れなかった。それも解放され「もともと好きだったし興味があった」という、飲食業の世界に飛び込むのに、迷いはなかった。

山田海(左)をはたき込みで破った神山(2023年5月26日撮影)

山田海(左)をはたき込みで破った神山(2023年5月26日撮影)

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。