【ブルーペナント〈24〉上編】米子北の戦術が日本代表ボランチ佐野海舟を生み出した

「ブルーペナント」。

その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。

サッカー日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈る、日本サッカー協会(JFA)が「育成年代の指導者への敬意として」行っている日本代表・育成指導者表彰制度。

今回は日本代表で欠かせない1人にまで存在感を増しているMF佐野海舟(25=マインツ)がブルーペナントを贈った米子北高(鳥取)の中村真吾監督(51)に話を聞きました。ドイツ・ブンデスリーガで不動のレギュラーの座をつかみ、ビッグクラブへの移籍も現実味を帯びてきた25歳が、高校時代をどう過ごし、成長したのか。鳥取・米子の地での成長について聞きました。

サッカー

◆佐野海舟(さの・かいしゅう)2000年(平12)12月30日、岡山・津山市生まれ。小学生~中学生時代は地元のFCヴィパルテでプレーし、米子北高へ進む。19年に当時J2だったFC町田ゼルビアに加入し、23年に鹿島アントラーズ移籍。24年夏にドイツ・ブンデスリーガのマインツへ完全移籍した。日本代表では23年11月のW杯アジア2次予選のミャンマー戦でデビューを果たし、12試合に出場(26年3月イングランド戦まで)。176センチ、67キロ。弟はNECナイメヘン(オランダ)でプレーする航大。W杯アジア最終予選では佐藤勇人・寿人以来19年ぶりとなる兄弟での代表同時出場も果たした。


◆中村真吾(なかむら・しんご)1974年(昭49)8月28日、島根・益田市生まれ。松江市立湖南中~松江商高に進み、九州産大でプレー。卒業後は母校の松江商で指導し、03年から米子北高でコーチ。16年から監督を務める。米子北は城市徳之総監督が率いた世代から全国高校選手権に16大会連続出場中。プリンスリーグ中国を5度制し、今年は3度目のプレミアリーグWESTに挑む。主な教え子は昌子源(町田)、谷尾昂也(元川崎F)、佐野海舟(マインツ)、佐野航大(NEC)。日本サッカー協会(JFA)A級ライセンス保有。19~20年には日本高校選抜コーチやU-18日本代表アシスタントコーチも務めた。

佐野海舟が通った米子北高

佐野海舟が通った米子北高

岡山県の選抜入れずJクラブも落ち鳥取へ

25年10月のブラジル戦や、今年3月のイングランド戦でダブルボランチの一角として出場し、日本代表の歴史的勝利に大きく貢献した佐野海舟。日に日にその力を伸ばしているが、10年前にこの姿を想像できた者はほとんどいなかった。

佐野少年が米子北の門をたたいたのは、前年までコーチだった中村が監督に就任した16年のことだった。

「元々は岡山県の選抜にも入れず、Jクラブも落ちて、という選手だった」という言葉通り、サンフレッチェ広島や京都サンガF.C.の下部組織を狙うも高い壁に阻まれた佐野少年。10年後に世界のトップレベルで注目を集めることになるボランチは、岡山からやってきた米子の地で、プロを目指して静かに取り組み始めた。

ブルーペナントを手にする米子北の中村真吾監督

ブルーペナントを手にする米子北の中村真吾監督

「引き寄せられるものが」あり1年からAチーム

「海舟のプレーを初めて見たのは4月終わりぐらいだったと思います。僕は生徒募集に関わっていないから、入ってきた大勢の選手の1人という感じで見た。多くの1年生がプレーしているのを眺めていたら、ほとんどのセカンドボールを拾って、常にボールに関わり続けている選手がいた。姿勢が良かったのも印象的だった」

特に飛び抜けた印象だったわけではない。それでも違いを感じ「何か引き寄せられるものがあった」という中村は、佐野をAチームに加えることにした。

「ちょっと試しにAチームに入れてみたら、1年生同士でやっていたことが、Aチームの中でもできていた。普通は3年生の中にいきなり入ると圧力を感じたりもするけど、それがなかった」

4-3-3のど真ん中 先輩らの中ひょうひょうと

高1夏のインターハイ予選ではAチームに帯同したものの、起用されなかった。それでもプリンスリーグなどで経験を重ねて周囲の信頼も得ると、広島で行われたインターハイ全国大会ではレギュラーとして定着。一気にチームの中心選手の座をつかんだ。

「4-3-3のど真ん中で使った。先輩の中に入ってやる緊張感はあったみたいだけど、ひょうひょうとやっていた」

2回戦の横浜創英(神奈川)戦こそ途中出場だったが、3回戦の星稜(石川)戦では先発してフル出場。準々決勝の青森山田(青森)戦も背番号16を背負ってフル出場した。

中村にとってこの青森山田戦は、強烈に印象に残っている一戦だという。

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スポーツ

永田淳Jun Nagata

Aichi

1980年(昭55)9月9日、愛知県生まれ。小3でサッカーを始める。法大卒業後、商社、フリーランスのサッカーライター、商社、外資系半導体メーカーでの勤務をへて、23年4月に日刊スポーツ新聞西日本に入社。日本サッカー協会B級ライセンス保有。日本アンプティサッカー協会技術委員長。X(旧ツイッター)は@j_nagata