太田真一がGPを語る(撮影・野島成浩)
太田真一がGPを語る(撮影・野島成浩)

1億円超えの優勝賞金を懸けた、最高峰レースのKEIRINグランプリ(GP・30日、静岡競輪場)まであと2週間となった。選手選考1位の三谷竜生が広島G3を走り終え、村上義弘と武田豊樹が伊東G3を回避し、9選手はそろって調整に入っている。気になるのはその内容と心理。今回は、1999年の初出場Vなど3度GPに挑んだ太田真一(43=埼玉)に勝利へのプロセスを聞いた。題して「GPのVロードは!?」。

太田はA級陥落して3年がたつが、11月川崎に続いて12月松戸で決勝進出し上昇一途。「走るのが楽しくなってきた」とご機嫌な折に、GPを戦った当時を尋ねると「えっ、GPの話? オレはこないだ、ユーチューブで過去のGPを見たよ。やっぱり名レースが多いし、今年も楽しみ。出ていた頃は、今ごろは何を強化しようか考えて、ウエートトレーニングや乗り込みをしていた」と話がとめどなく続く。

GPメンバーは基本的に、その年のG1覇者と、選考期間の賞金額上位者が選ばれる。1993年から2001年までは、前年のGP覇者が選考1位だった。太田は1999年の高松宮記念杯でG1初Vを飾り、2000年は選考1位、03年はG1寛仁親王牌を制してGPに挑んだ。「やっぱりG1を勝って出たい。自信を持って走れるし、賞金では出られるか最後まで分からない。3回とも夏までに決まり、暮れに向けて準備できた」。

初出場Vは逃げ切りだった。これは他に90年の坂本勉と2001年の伏見俊昭しかなし得ていない。2度目はまくり不発の8着。「初出場のときは、メンバーが分かってすぐに先行と決めた。勝つためには、みんなの走りを乱す。いつもと違うポイントで踏んだり流したり。そうイメージして練習して、その通りにできた。オレと坂本さんの勝った映像を見比べたら、ペース配分が似ていてびっくりした。考えが同じだったのかな。2度目は小嶋敬二さんにがんがん逃げられてお手上げ。1着しか意味がないレースで、ああされると苦しかった」。

3度目はまくりで3着と健闘したが、戦略が定まるまでに紆余(うよ)曲折した。理由は、徹底先行の村上義弘が近畿ひとりだったため。例年、メンバーは12月中旬の共同記者会見で抱負や戦略を話し、27日に前検を迎える。今年の会見は18日夕方に予定されている。「3度目の時、作戦を決めたのは会見の場だった。村上さんマークを考えていたけど、9番車で話す順番が最後。そしたら2番車の小野(俊之)が村上さんマークを言ったから、単騎でまくり狙いにした。会見から前検までは、スピードを強化しようと競輪学校でオートバイ誘導をしてもらった。最後に山田裕仁さんと吉岡稔真さんに抜かれた。惜しかったけれど、今ではいい思い出だね」。

今年のGPは、ナショナルチームで世界に挑み、2度G1を制した脇本雄太がレースを支配しそう。太田は日本自転車競技連盟が公認する審判員2級の資格を持ち、国内のトラック競技大会でも脇本の強さを見てきた。

しかし、思いを寄せるのは同門で弟分のような平原康多の初V。「康多には今年こそ勝ってもらいたい。静岡は風が強くて走路が重いから、脇本が勝つとはかぎらない。ただ、康多はどう戦うのかな? GPの選手はヨコが強く、簡単にはいい位置を取れない。分が悪くても力勝負をするか。競輪祭の前に西武園で会ったときは、ナショナルチームを参考にして体重をしぼっているとのことだった。GPは1着じゃないと意味がないからね。頑張ってもらいたい」。

しっかりプロセスを踏んで栄冠をつかむのは誰か!?30日、静岡競輪11RのGPが待ち遠しい。【野島成浩】