全日本選抜決勝での悪夢の落車失格(5着入線)から11日。浅井康太(90期=三重)は、「何を言われても受け止める。お客さんの前に出るのが僕の責任」と、ケガが完治していない状態でG3静岡への出場を決意した。

全日本選抜の直後は、自責の念から「競輪選手みんなが目指すのがSS班。あんなレースをしてしまった僕にその資格はないから降りたい」と、師匠の佐久間重光に申し出るほどだった。

迎えた初日特選。浅井は、場内の全方向に礼をしてから発走機についた。「不安しかない」状態だったが、吉沢純平の逃げを5番手からまくって2着。差した吉田敏洋は「問題ない。いつもの浅井だった」と、その後も準決、決勝と浅井に前を任せた。

「不安もプレッシャーも力に換えるのが一流だと思う」(2予A終了後)

「狭いコースをびびっていたら、G1では戦えない」(準決終了後)

1走ごとに言葉に力強さは増していった。過剰にピリつくこともなく、静かに集中し、レースが終われば思いの丈を丁寧に語っていた。

決勝は近畿作戦に屈したものの、前検日からの5日間、浅井の戦いぶり、立ち居振る舞いは、SS班の名に恥じないものだった。【松井律】

浅井康太
浅井康太