山本浩輔(43=長崎)は、最終日を3、4着として、今シリーズを終えた。

初日にクランクシャフト調整、3日目にリングを3本交換して、エンジン出しに成功した。「諦めちゃ駄目ってことですよね」。屈託のない笑顔がはじけた。

「昨年(20年)は、複勝率20%台のエンジンばかり引いていましたね。ボロ(エンジン)に合わせてばかりだから、ペラも分からなくなってしまって…」。現状のリズムについて自己分析をする。

「でも、大きな整備を数多くしたことで、チャレンジすることの大切さとか、無難じゃなくて時には冒険も必要だなって、あらためて考えさせられたんです」。ボロをぼろぼろにしないための調整を、考えるようになった。そんな中、折れそうになる山本を励まし続けたものが、ミュージシャン布袋寅泰の音楽だった。

「魂のギターサウンドも僕を突き動かしてくれるんですけど、それと同じくらい、布袋さんが書く歌詞が前を向かせてくれるんです」。好きな曲の1つ“RUSSIAN ROULETTE”を思わず口ずさむ。

18年10月には、布袋のロンドン公演のファンツアーに参加した。その際にヘルメットを持参。一緒にいた妻が、夫はボートレーサーなんですと、布袋に口添えしてくれた。山本の登録番号は4004番。サインを書いてもらって驚いた。2つ目の0が、布袋の出身バンドであるBO〓(ストローク付きO)WYと同じデザインになっていた。布袋の粋な計らいだった。

「帰国後すぐの江戸川ボートで、たまたま1着になった日、競走会の管理に呼び出されたら、手紙が届いていると言われたんです。読んだら、ロンドンで一緒だった人たちが観戦に来てくれていたんです。優勝おめでとうございます(笑)って書いてあったんですよ。勝ったのは優勝戦じゃなくて、節間のうちの1つのレースだったんですけど、その人たちはボートなんて分からないから、1着が優勝だと思ったんです(大笑)」。ロンドンを境に、ボート界以外の業界の人たちと友人になれたことも、山本に活力を与えている。それは気鋭の陶芸家である古賀崇洋、布袋のサイドギターも担当するギタリスト黒田晃年、ライオンキング役で有名な俳優の内海雅智、「走る社長」の異名を取る1兆円企業の代表取締役など、その人脈は多岐にわたる。刺激を受けることで、ボートレースに臨む気持ちや視野が広がり、大きな視点で物事と向き合えるようになった。

レース終了日の翌日、3月1日は18歳の愛娘、妃夏(ひな)さんの高校卒業式だ。コロナ禍の影響で保護者は1人しか参加できない。「もちろん、僕が参加します。大切な娘ですからね。進路は専門学校に決まりました。小さな頃から、美容師になる夢を持っているんです。社会を知るにつれて、夢も変わるかなと思っていたけど、一途ですね。今の僕の夢は、彼女の第1号のお客さんになることなんです」。

ファンの夢を乗せて走るボートレーサーの夢。遠くない将来、きっとかなうだろう。