00年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん(46)が26日、かつてコンビを組み、24日に80歳で亡くなった小出義雄さんへの思いを明かした。

28日に行われる「高橋尚子杯 ぎふ清流ハーフマラソン」の発着点となる岐阜長良川競技場で報道陣に対応。この数日間を振り返った一問一答は、以下の通り。

-訃報を知ったときの受け止め方は

高橋さん 24日はご家族の方から連絡をいただいて、監督が亡くなられたことを知ったんですが、自分の中では3月の時点で小出監督からお電話があった後、通わせていただいていました。お話をしている中でそういった覚悟をずっと持っていたので「ついに遠いところへ行かれてしまったんだな」という、信じられないような気持ちで、その1日は何も手につかず、本当に監督を思い出して過ごすことしかできませんでした。昨日は1日、小出監督の(自宅の)方へ行かせていただいて、思うことはたくさんあるんですけれど、前を向いて、ちゃんと元気にいかないといけない。「最後は『まつり』でも歌ってくれ」っておっしゃっていたのを思い出しながら、「しっかりしなきゃいけない」と今は思っているところです。

-最後にお会いし、話をしたのは

高橋さん 一番最後に会ったのは4月18日です。4月に入って7~8回お見舞いに行き、お手紙を渡してきたのですが、その間はずっと「おい、Qちゃん、俺はあと1~2年頑張るよ」とか、持たないと言われていた「(4月15日の)誕生日まで頑張るよ」「令和も頑張るよ」「東京(五輪)も」とずっと前向きで、笑顔でいらっしゃったんですが、18日の時は肺炎にもかかられていて、少し体調も良くはなく「俺はもうダメだ。だから、お前はこれからも頑張って、50(歳)になっても輝いていてくれよ」という言葉をかけてもらいました。ずっと(お見舞いに)行っている間、辛いとか、苦しいとか、多分監督が一番大変な状況にあるにもかかわらず、何も自分のことでそういうことを一言も言わず、行く人たちを気遣っていただいて、最後まで周りを心配してくださる監督に、最後までいろいろ教わることが多かったなと思います。

-一言で振り返るのは難しいと思うが、どんな人だったか

高橋さん 私は高校時代も、大学時代もすごい選手ではなくて。そんな弱い私の時から見放さなくて、コツコツと指導していただいて、五輪を経験させていただいたり、世界記録を出させてもらったり、今の自分があるのも監督のおかげだと思っているので、私の人生は監督なしでは語れないものだと思っています。

-昨日、亡くなった監督のお顔を見られて、どんな言葉をかけられましたか

高橋さん 4月に入って、ベッドに寝ている監督にお会いして、耳元で「高橋です! Qです!」と言ったら、目を開けなくても「そんなの、声を聞けば分かるよ」ってすごく元気に答えてくださっていたので、昨日お会いした時には、その声が返ってこない。最後にはいつも力強い握手をしてくださっていたんですが、その握りかえしてくる力がないことが、私にとっては信じられない気持ちでいっぱいでした。ご家族の配慮もあり、少し長い時間を昨日はいただくことができました。出会った頃からずっと(98年の)名古屋や、棄権した(99年の)世界陸上や、(00年の)五輪や、世界記録を出して監督の下を巣立っていった後も、本当に娘が自立していくように、電話や声をかけてくださって、励ましてくださったこと、最後の最後まで監督が自分の姿を見せてご指導いただいたことを、1つ1つ振り返りながら、お話ができたのかなって思います。