クリスマスイブの夜、親子で泣いた。無良は、得点が出た瞬間、立ち上がった父に抱きしめられた。全日本選手権男子フリーで今季ベストを35・16点も上回る172・88点。隆志コーチの胸に顔をうずめて、静かに泣いた。合計3位。平昌五輪には届かなかったが、完全燃焼だった。

 「五輪という意味では次はない。悔しさはあるが、五輪に行くことが自分のゴールではないかな。この日を迎えて、幸せだった」

 10月のカナダ杯はGP通算14戦目で初めて最下位の12位。「断片的に焦っている感覚しか残っていない。『何やっているんだろう』という気持ち」とぼうぜん。11月のスケートアメリカも7位。「がたがたの中で周囲に支えてもらった」。

 現役最年長の26歳。2児のパパで、元選手だった父が届かなかった五輪に一緒に行く目標があった。前回ソチ五輪を前にした13年4月。浅田真央がソチ五輪を集大成にする発言をした際、当時22歳の無良は「僕だって、いつまで続けられるかなんてわからない。そういう気持ちで1年1年やっているんです」と語気を強めたことがある。4年前の選考会は目の前にちらつく五輪に、平常心を失った。

 最後の五輪挑戦で4回転はトーループ2本、サルコー1本を目指した。だがけがや靴が壊れるアクシデントもあり、沈んだまま。全日本は「ここでやり切れないとそれまで」と悲壮な覚悟で臨んだ。父も「この瀬戸際でうまくやってやろうとかじゃない」と言った。

 SP3位からのフリー。冒頭の4回転トーループの着氷で右に傾いた。だが下に伸びかけた右手を引っ込めて、氷に手をつくことを断固拒否。状態を見極めて、1本だけにした4回転は意地で決めた。ジャンプの構成を落としたことで覚悟はできていた。直後のライバル田中の演技が終わる前に、取材エリアに現れた。「選ばれなかったことは仕方がない。今の実力がそぐわなかった」と潔く認めた。そして「刑事(田中)には頑張ってほしい」と強がりではなく静かに言った。

 五輪を目指し、五輪にかけた。だが親子で夢見た舞台がなくなっても、胸の中に充実感が残った。パワフルな3回転半、大人の男として全身で表現した「ファントム」の悲哀。総立ちの観客を見て涙がこみ上げた。そして気づいた。「自分らしい演技がみせられないことが悔しいことだった。ここまでやれたことは人生の中の宝」。26歳は大会終了後、来年1月の4大陸選手権(台北)代表に選ばれた。【益田一弘】(この項終わり)