アンニョンハセヨ~! アン・シネです。9月になりました。そろそろゴルフしやすい気候になる…かな? 「アン・シネのサランヘヨゴルフ」。今週は「アン・シネ・ゴルフ・ヒストリー4家族とゴルフ」です。家族あってのワタシ、というお話を聞いてください。
- 両親のおかげでプロゴルファーになれた
幼い時にニュージーランドに移住したワタシは、1人っ子ということもあり、基本的にはいつも両親のそばにずっといたような気がします。
そもそも、ニュージーランドに行ったきっかけは、オークランドで暮らしている父の弟に、赤ちゃんが生まれたからでした。両親にとってはめいっ子、私にとってはイトコを見に行く。そんな理由で遊びがてら、休みの間に約1カ月間、旅行したのが始まりだったんです。
私たちは韓国の首都、ソウルで暮らしていましたから、高いビルに囲まれているのが当たり前。でも、ニュージーランドのおじさんの家の周りは、自然がいっぱい。島も山も多い、天候もよくて高いビルなんかない気持ちのいいところでした。遊ぶにはもちろん、勉強をするのにもいい環境だったんです。ゴルフをしてみたら楽しいので、そちらで暮らすことを決めました。
前にもお話ししたように、最初の2年間は、韓国で仕事をしている父が行ったり来たりの生活をしていました。そちらの事業をやめて家族3人が一緒にニュージーランドで暮らすようになってからは、やはりいつも両親と一緒でした。言葉では2年ほど苦労しました。なかなか友達と話せず、カベがあったのを感じて、子供だったワタシは、毎日、家に帰ると泣いていました。
言葉の問題もあり、父が行ったり来たりしている2年間は、ものすごく勉強しました。あまりゴルフをする時間がないくらい。おかげで、英語で苦労しなくなったのですが、この間は大変でしたね。
父がずっと一緒にいられるようになった頃には、言葉のカベを乗り越えることができて、ゴルフに集中することができるようになりました。最初から、両親は口を出すことはせず、私のゴルフはコーチに任せていました。
一生懸命練習しましたよ。プロゴルファーになる、ということを、特に両親に宣言したりはしませんでした。でも、実は父にもプロゴルファーになりたいという夢があったようです。だから、2人ともすごく応援して支えてくれました。ワタシが今、こうしていられるのは両親のおかげです。
プロになった時も、両親は当然だと思っていました。長い間、ワタシがそのために準備したのも知っていたから。プロになっただけで満足しないで、その先にある夢をかなえるという気持ちがあるのもわかっていました。その後のチャレンジも応援してくれ続けています。
1人っ子のワタシは、今でもソウルに帰って両親と一緒に過ごす時間を、何よりも大切にしています。
取材構成=遠藤 淳子(清流舎)
撮影=河野 匠
取材協力=ザ・インペリアルCC(茨城県稲敷市)