静寂のち大歓声-。タイガー・ウッズ(米国)の歴史的勝利で幕を下ろしたゴルフのメジャー大会マスターズ(米ジョージア州)で4日間、繰り返されたシーンだ。ウッズの11年ぶりのメジャー制覇。極めた栄華を自身のスキャンダルで汚しながらも、はい上がって再び表舞台に戻ってきた姿には心を打たれたが、この劇的な復活を後押ししたのは「パトロン」と言われるギャラリーが、ひと役買っていたのは言うまでもない。

パトロンという呼び名は聞き慣れないが、マスターズの歴史をひもとくと理解できる。マスターズは球聖と言われるボビー・ジョーンズ氏らが創設したもので、34年にスタートした。当時、資金難にあえいでいたが、オーガスタ・ナショナルGCのメンバーらが支援し、資金運営にも携わったことでギャラリーとは言わず、パトロンとされた。それが今でも残り、マスターズだけは、ギャラリーのことをそう呼称する。

とにかく、このパトロンたちのマナーが素晴らしい。選手が打つ前に、手を挙げて静止を促す係の人がいても、普通の大会のように「お静かに!」の看板は立たない。構えに入ると自然と動きがぴたりと止まる。みな一打に集中しているから自然の流れで静まる。だからこそ、スイング、打球音が生々しく聞こえてくる。その静寂は緊張感をあおり、一打の重みをより明確にしている。ビールを片手に観戦する人もいるが決して騒がない。その後に沸き起こる歓声、良い時は声援に、時にブーイングにもなるが、純粋にゴルフを楽しんでいるのが分かる。このしびれる緊張感から生まれる高揚感こそ、ライブ観戦の妙味だと思う。

携帯電話の持ち込みもできないので写メを撮る人も当然、いない。昨今、スポーツに限らずイベントなど多くのシーンで携帯電話を掲げる人を見る。もちろん、記者も大いに活用している携帯電話を否定するわけではないが、会場にいるにもかかわらずレンズを通しての観戦では本質は見えてこないのかもしれない。自分の目でその選手、一打、ラウンドの流れを読み解く。実際、ゴルフだけに集中できるため、より競技に没頭する。選手について回っていると、芝のにおいがし、風の音が感じられた。白球を追った自身の原風景さえも思わせてくれるそんな大会だ。

ウッズの最終18番。最後のパットの前、あれだけのパトロンがいても静寂に包まれた。パターの音がグリーン上に響き渡った後、あの大歓声。もちろん、携帯電話を掲げる人はいない。自身のその目に勝者を焼き付け、心に刻んでいた。

携帯電話が持ち込めないなど、時代に逆行し、否定的な意見も確かにあるが、大会前の会見でウッズは「マスターズはプレーにより集中できる」と言った。歴史が紡いできた愛すべき伝統こそ、マスターズが聖地と言われるゆえんなのかな。紳士然とするパトロンたちからスポーツ観戦のあり方を教えられた気がする。

【松末守司】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)