米男子ツアーのRBCヘリテージ開幕前々日の4月15日、米サウスカロライナ州ヒルトンヘッドアイランドのハーバータウン・リンクス。雷雨がようやく上がった練習場に、石川遼がたった1人で現れた。マネジャーはおろか、キャディーも連れていない。手にはアイアン5本とパターのみ。「ホテルも近いんで、ふらっと来ちゃいました。雨の間、部屋で素振りとパットをしていたんですけど、そのうちにどうしても球が打ちたくなっちゃったんで」と事もなげに言った。

 入念にフォームを確認しながら、10球ほどショットする。そして「よし!」と叫んであっさり練習を締めくくった。「気になってたポイントがちゃんとできた。来て良かったです」。手際良くアイアンのヘッドを磨き上げると、足取りも軽く練習場を後にした。

 今の石川は、以前とは雰囲気も行動もまったく違う。久々に会う関係者を見かければ、自分からあいさつに出向き、笑顔で握手する。「せっかくですから、夕飯一緒にどうですか」と声をかけることまである。スーパーに出向けば、リーズナブルでうまい赤ワインを、やたらと真剣な表情で吟味する。パーティーグッズ売り場でカツラをこっそり買い込み、夕食の席に金髪ロン毛姿で現れて笑いを取ることもある。これが現在の石川遼の素顔だ。

 今更言うことでもないが、石川はプロスポーツ選手としてのブランディングが、最も成功した例だ。本人が競技で挙げた成果と、プロモーション戦略が、最高の形でリンク。フィギュアスケート女子の浅田真央と並んで、競技の枠を超えた人気を誇る国民的スターになった。テレビコマーシャルへの起用が多いことでも、そのことは明らかだ。

 一方で注目度の高さ、期待値の高さゆえに、気軽な行動ができる立場ではなかった。プライベートで街に出たことなど、数えるほどしかない。選手としての活動が、いわばスポーツ界の一大プロジェクトだけに、多くの大人たちのサポートが必要でもあった。試合会場内の移動でさえ、いつもファンが殺到するため、警備スタッフ5、6人の同行が不可欠だった。スターとして敬遠されることもあり、気さくに話せる相手も限られた。最も近しいあるスタッフは「本当は年相応に、もっと自由にさせてあげたい」と話していたが、現実的には難しかった。

 米国に来て1年。状況はようやく変わった。米ツアーでは、将来が期待される若手選手の1人ではあるが、それでも扱いはあくまで一選手。会場でファンに取り囲まれることも、街で指をさされることもない。

 米国暮らしに慣れたことに加えて、本人が早々に英語を習得したこともある。サポートスタッフでつくる「チーム遼」も、自然とコンパクトになっていった。ツアー戦でも、会場に同行してくるのはトレーナーとマネジャーのみ。その分、石川がチームの“キング”として、何でも自主的に決められるようになった。

 この日練習に1人で向かったのは、毎日朝が早いスタッフの疲れを配慮してのことでもあった。リーダーとして、チームの雰囲気づくりにも心を砕く。そのことは負担ではなく、むしろやりがいになっている。

 国内ツアー当時と違い、毎試合優勝争いを要求されることもない。目の前の結果にこだわり過ぎず、やりたいゴルフ、理想のスタイルを、純粋に追い求めることもできるようにもなった。これからは、自分の色を自分で決める。そんな前向きな空気が、今の石川の周囲には満ちている。スタッフや周囲の選手、メディアを巻き込み、屈託なく笑いあう様子は、大きな成功の前夜祭のように見えてならない。【塩畑大輔】