女子プロゴルフで世界ランク1位にも輝いた宮里藍(32=サントリー)が、14日に開幕する今季メジャー最終戦のエビアン選手権(フランス)を最後に現役を引退する。ラストプレーを前に5回にわたり「藍の軌跡」と題して、沖縄で育った幼少時代から、プロ入り、引退を決意するまでの歩みを振り返る。第1回は「プロゴルファーの夢を詰め込んだタイムカプセル」。

 沖縄本島北部に位置する国頭郡東村は「やんばる」と呼ばれる大自然が残り、パイナップル生産日本一の素朴な村である。中学卒業を控えた01年冬。東村立東中学校の3年生19人は、校舎の片隅にタイムカプセルを埋めた。将来の夢を書いた作文と一緒に、成人になった時に仲間と飲む泡盛を詰め込んだ。10年後の正月に再会することを約束して、スコップで穴を掘る。その中に、宮里藍がいた。

 体育の指導にあたっていた玉城学(現国頭中教頭)は、当時を覚えている。卒業記念としてカプセルを埋めることを決めた頃。駅伝の練習を終えた宮里に「夢は何だ?」と尋ねた。少女は目を輝かせながら答えた。「プロゴルファーになりたいです」と。続けて「プロになったらファンにサインを書くんだぞ」。そう言われると、宮里は駅伝のタイムを付けた用紙の裏にサインの練習をした。「米ツアーで活躍する選手になる」-。明確な目標があったから、英語の勉強も欠かさなかった。

 中学ではバスケットボール部に所属していた。毎朝6時半からシュート練習、放課後の練習を終えて帰宅すると、車で30分の場所にある大北ゴルフ練習場で夜9時からゴルフの腕を磨いた。家に帰るのは深夜0時を過ぎる。バスケットボール部顧問だった末吉理香(現大宜味中教諭)は「授業中に寝ることはなかった。『この50分(の授業)を集中しないと分からなくなる。勉強する時間がないから』と言っていました。どうしても眠い時は、授業の合間の10分間に、こっそりと寝ていた」と振り返る。

 目標を決めたら最後までやり通す。そんな生徒だった。陸上は得意ではなかったが、玉城は「自分の持っている力を最大限出そうとする粘り強さがあった。走り込みでヘトヘトになっても、その後にゴルフの練習に行っていた」。中学2年の11月にあったバスケットボールの国頭地区強化大会では、宮里の3ポイントシュートが決まり同校は初めて4強に進出。だが、ゴルフの試合で練習を抜けることがあった宮里は、末吉に「私が試合に出てもいいんですか」と相談した。常に他の部員に気を配る、優しい生徒だった。

 中学を卒業すると、宮城の東北高に進学するために沖縄を離れた。タイムカプセルに詰め込んだ「プロゴルファーになって米ツアーで活躍する」という夢の実現に向けて-。カプセルを開けた10年後、描いた夢は現実になっていた。(敬称略)【取材、構成=益子浩一】

 ◆宮里藍(みやざと・あい)1985年(昭60)6月19日、沖縄・東村生まれ。父優氏の指導で4歳からゴルフを始める。宮城・東北高3年の03年にアマとして30年ぶりにプロツアーを制し、その後プロ転向。06年から米ツアーに本格参戦し、09年に初優勝。10年には日本人米ツアー最多となる年間5勝を挙げた。米ツアー9勝、国内15勝。155センチ、52キロ。