稲森佑貴(26=フリー)が2年ぶり2度目の優勝を飾った。1打差2位で出ると、同組の谷原秀人に17番で追いつき、18番で逆転。我慢の展開で2バーディー、1ボギーの69で回り、通算5アンダー、275で競り勝った。ツアー通算2勝は、いずれも日本オープン。同じ国内メジャーを異なる年に制して初優勝、2勝目という初のケースとなった。「2」にこだわって今年2月22日に結婚した美穂夫人(25)に、2位ではなく、2年ぶり2度目の優勝報告できることを喜んだ。

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かつてないほど、遠く感じた2メートルだった。18番パー5、稲森は決めれば優勝のバーディーパットを、なかなか打ち出せなかった。ようやく決心して振り抜くとパターを振ると、3秒後には右手でガッツポーズをつくっていた。「我慢していればチャンスが来ると思っていた。(最後は)心臓がバクバクしていた」。優勝インタビューで、心から安心した表情で振り返った。

1打差を追ってスタートした。前半は全てパー。その間、首位で出た同組の谷原が1つスコアを伸ばし、2打差に開いた。それでも「最初の優勝の経験が生きた」と、2年前の経験から慌てなかった。難しいコースセッティングの日本オープンは「ラフに入れると攻め方が変わる」と、5年連続フェアウエーキープ率1位の正確なショットが生きると知っていた。丁寧にパーを拾い続け、12番でボギーをたたいても、13番で3・5メートルにつけてバーディーを奪い返し、しぶとく逆転バーディーにつなげた。

1、2勝目ともに同じ国内メジャーを制する初のケースになるほど、日本オープンとは相性が良い。これで今大会は8度目の出場で8623万8666円稼いだことになり、生涯獲得賞金の31・27%にも達した。

2月22日に同郷鹿児島の中学の後輩の美穂夫人と結婚した。日付は鹿児島弁で「運がいい」「幸せ」などを「ふがいい」といい、その語呂合わせ。「調子が悪くても味方でいてくれた」と、不振の昨季も支えてくれた美穂さんの存在の大きさに感謝。「勝ったよと報告したい」。2位ではなく2年ぶり2度。より多くの「2」が付く報告を心待ちにしていた。【高田文太】

◆稲森佑貴(いなもり・ゆうき)1994年(平6)10月2日、鹿児島県生まれ。日本シニアオープンにも出場した父兼隆さんの指導で、6歳からゴルフを始める。鹿児島城西高2年時の11年にプロテストに挑戦し、1発合格。同年の日本プロ新人選手権を制し、翌年の日本プロでツアーデビュー。14年に出場7試合で初シードを獲得。15年から昨季まで5年連続フェアウエーキープ率1位。日本オープンは18年に初優勝、今年で2度目で、26歳12日での2度目の優勝は3番目の年少。19年全英オープンでメジャー初出場。家族は美穂夫人。169センチ、68キロ。

<稲森佑貴の優勝クラブ>

▼1W=スリクソンZX7(シャフト=ディアマナZF、硬さ60X、ロフト9・5度、長さ44・75インチ)▼3W=同フェアウエーウッド(15度)▼5W=同(18度)▼3UT=同ハイブリット(19度)▼4UT=同ユーティリティ(23度)▼アイアン=5I~PW=同5アイアンNSプロ モーダス3プロトタイプ▼ウエッジ=クリーブランドRTX ZIPCOREフォージドNSプロ モーダス3プロトタイプ(50度)、同4フォージド(58度)▼パター=オデッセイ ストロークラボTEN▼ボール=スリクソンZスター