松山はアマチュア時代から、世界を見据えていた。東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督(58)は「あいつは大学に入ってきた時から世界を目指していた」と、当時のエピソードを明かした。高知・明徳義塾高時代は、やせ形だったというがセンスの高さを評価。同監督はプロか大学進学か、進路に迷っていた松山と高3の秋、対面した。

阿部監督 あの時点でプロになっても、それなりには活躍したと思う。でも世界を狙えると思った。イチローのように、米国で戦える選手になると思った。プロになったら、すぐに結果を求められる。それよりも体づくりをする期間が必要だと思った。だから「もう無理です」と言うまで食べさせた。本当のアスリートは体が大事。飛距離を出すにも、まずは体がないと。

マスターズの各ラウンド後も、誰よりも遅く、午後8時ごろまでコースに残って打ち込んだ練習の虫。毎週の試合に追われて、むしろ体重が減っていくプロもいるが、着実に増量していった。70キロ程度だった体重は、今では90キロを超える分厚い体となった。

同監督は同時に、心も鍛えた。特に大学4年でプロに転向するにあたり、勝負に対して植え付けた意識の高さは今も松山の支えだ。

阿部監督 プロになったからといっても「何位でいい」なんて試合はない。プロこそ優勝しかない。優勝を狙って、2位や10位や予選落ちということもある。ただ、優勝を狙う気持ちを絶対に忘れるなと言った。

松山は徐々にスコアを落としたマスターズ最終日の後半も、リーダーボードは「ずっとチェックはしていました」と語った。優勝を意識しないよう、ボードを見ない選手もいるが、松山は常に優勝を意識しているから見ないことはない。優勝するために、あと何打必要、何打落としてもリードを保てる-。優勝から逆算してプレーするという。

米ツアーに挑戦する前、阿部監督は「10年は日本に帰ってくるな。中途半端なことでは米国で活躍できない」と、松山に言った。すると松山から「僕もそう思います」と即座に返ってきた。松山が世界の頂点に立つ日を、恩師が確信した瞬間だった。【高田文太】(つづく)