新世紀世代の笹生優花(19=ICTSI)がメジャー挑戦4戦目で初優勝を飾った。

日本女子のメジャー制覇は77年全米女子プロの樋口久子、19年AIG全英女子オープンの渋野日向子に次いで3人目。

  ◇  ◇  ◇

宮里藍の現役引退は4年前で、国内ラストゲームは17年6月のサントリーレディースだった。サントリーに所属し、翌年から大会名が「宮里藍サントリーレディース」となる“ホステス大会”で、国内最後のプレーを終えた11日最終日、表彰式で初のプレゼンターを務めている。

38位でベストアマチュア賞を獲得し、宮里から表彰された選手が登録名「ユウカ・サソウ」で出場していた笹生だった。

ホールアウト後、プレゼンターが宮里と知った笹生は「えーっ!?」と声を挙げた。「日本に住んでいるとき、テレビで藍さんを知って。憧れでした」。父は日本人の正和さん、母はフィリピン人のフリッツィさん。フィリピンで生まれ、5歳から3年間は東京で暮らした。ゴルフを真剣に始めるようになったきっかけが、タイガー・ウッズと宮里だったという。

「今週、藍さんとロッカーが隣同士だったんです。写メは撮らせてもらったけど、恥ずかしくてサインはもらえませんでした。…代わりに弟がもらいましたけど」。そう興奮気味に話していた。

笹生は当時16歳、通信制の代々木高に入学したばかりだったが、大物の片りんはあった。196ヤードの3番パー3。多くのプロがユーティリティー、FWを握ったホールで4番アイアンを手にピン3メートルにつけた。身長165センチは今とほぼ変わらないが、線は細かった。それでも、ドライバーの飛距離を「260ヤードぐらい」と話していた。

宮里は世界ランク1位になったが、メジャー優勝は夢に終わった。笹生がバトンを受けて4年後にかなえたと考えると、不思議な縁だ。【加藤裕一】