福井市生まれで17年から日本ツアーに参戦し、SNSなどを通じて高い人気を誇るセキ・ユウティン(24=中国)が初優勝を飾った。首位と4打差の10位で出て1イーグル、8バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの66と6つ伸ばし、通算12アンダー、204。一時は首位に8人が並ぶ大混戦を抜け出し、吉田優利とのプレーオフ2ホール目で決着をつけた。18歳で中国ツアーの賞金女王に輝きながら、日本で挫折を味わい、6年目で悲願達成。フォン・シャンシャンらに次ぐ中国選手の優勝となった。

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かみしめるように、セキは右手を握り締めた。18番パー4でのプレーオフ2ホール目。先に吉田が8メートルを外し、決めれば優勝という4メートルのバーディーパット。プロとして日本で過ごした6年の1つの集大成。慎重にラインを読んで決めきった。笑顔を見せた後、少ししてからファンや周囲への感謝で涙が止まらなくなった。「まだ信じられない。(プレーオフは)すごくドキドキ。プレッシャーから逃げずに頑張りました」。少したどたどしい日本語で話し、再び笑顔を見せた。

人生を象徴するような、山あり谷ありの最終日だった。1番でバーディー発進すると、猛チャージ。13番パー5ではイーグル奪取。2位に2打差の単独首位に立った。だが直後の14番ボギー、15番ダブルボギーで陥落。「もう無理かなって思った。でもそれは悔しいし、もったいない」。16、17番を連続バーディーとし、再び首位に立った。6年間で最高成績は昨年1度あった3位。千載一遇のチャンスをアマチュアで5戦4勝、中国ツアーで3戦2勝のプレーオフの勝負強さで射止めた。

福井大に留学していた両親のもと、福井市で生まれ4歳まで過ごした。その後は中国代表で活躍。16年には18歳で中国ツアー賞金女王。「自分を天才だと思っていた」。だが日本に活躍の場を移した17年は出場32戦で17戦予選落ち。鼻っ柱をへし折られた。「本当は同世代の子みたいに、彼氏をつくったり遊んだりしたかった。でもツアー選手はそれじゃあダメ。全部をあきらめた。我慢してよかった」。今は誇りだ。

選手である以上、最高峰の米ツアーに挑戦したい思いはあるが、生まれ故郷の日本は大好きだ。次の夢は「(日本の)メジャーで勝つこと」。日本で自然と身につけた笑顔が充実感を物語っていた。【高田文太】

◆セキ・ユウティン(石※(※は日の下に立)〓(女ヘンに亭))1998年3月5日、福井市生まれ。4歳まで福井市で過ごし、父の石越東(セキ・エットウ)さんが、日本企業などとの交流のためにゴルフを始めたタイミングで、7歳からクラブを握る。アマチュア時代は中国代表で活躍し36勝。18歳だった16年の中国ツアーで賞金女王。日本には17年から参戦し、19年に下部ステップアップツアーの日医工女子オープンで優勝。同年11月にプロテスト合格。今回の優勝で初のシード権獲得。家族は両親と妹。171センチ、63キロ。

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