国学院栃木はあと1トライが奪えなかった。自慢のFW陣で何度もゴール前に迫るも、スクラムでの反則を繰り返し、自滅した。審判に何度も注意されたプロップ藤倉大介(3年)は「組む時の問題だった。今まで(反則を)取られたことがなかったのでうまくいかなかった。今後、上のレベルでやっていくには、すぐに対応していくことも大事」と反省を述べた。

忘れられない1年になった。1年から花園に出場。自分の代になり、長く指導を受けていた浅野コーチがトップリーグNECの監督に就任。穴があいたチームを引っ張っていこうとした藤倉は、吉岡監督と考え方の違いで衝突した。頭を冷やすように言われ、1カ月ほどグラウンドを離れた。その間、他の部の先生や、生徒、普段掃除をしてくれる職員からも激励の言葉をもらった。「自分が間違っていた。いろんな人と話をして、こんなにたくさんの人が応援してくれていることも分かった」。7月には半月板の手術も経験。夏合宿にも参加できなかったが、焦る気持ちを抑え、リハビリと筋トレを行い、身体作りに励んだ。「今ではグラウンドに入る時に、俺ならできると思うようになった」。順調に来ていたラグビー人生で初めての挫折だったが、復活した藤倉は自分に自信を持ち、恐いものがない「最強の男」になった。

今大会初戦の報徳学園戦では重量FW相手にフル稼働した。スクラムでもディフェンスでも、どこにでも現れ、ジャージーが破れようが、体がボロボロになろうが、相手に向かって突進した。吉岡監督は「みんな藤倉頼みになってしまう。あいつは疲れていてもどこにでも行っちゃうから」と苦笑い。監督からもチームからも信頼される存在となった。

卒業後は大東大に進学予定。日本代表でのプレーも視野に入れる藤倉は「将来はスクラムに1番こだわりのあるフランスでプレーしたい」とビックな夢を明かした。自分の思いに真っすぐに突き進みやり切った3年間。3回戦で敗れたが、試合後の目に涙はなかった。「胸張って帰ろう」。チームメートに声をかけ、花園を後にした藤倉。強くなった18歳が、新たな目標に向かって再び走り出す。【松熊洋介】