立ち見続出、超満員の花園がわき上がった。常翔学園(大阪第2)のWTB生駒創大郎(3年)がラストプレーで逆転トライを奪い、Aシード京都成章を27-24で下し、3校出場した大阪勢で唯一の4強入りを決めた。

準決勝進出は12年V以来7大会ぶり。抽選の結果、春の全国センバツ大会で敗れた御所実(奈良)との対戦が決まり、リベンジを果たす機会を得た。

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歓声を背に、前へ出た。ノーサイド目前、スコアボードは20-24を示す。7分前のトライで逆転されていた。万事休す…の場面で、常翔学園WTB生駒は、起死回生の再び試合をひっくり返すトライを決めた。後半31分、生駒が左サイドでボールを受け、ディフェンスを振り切ると花園の観客が総立ちに。勝利を確信し飛び込み、楕円(だえん)球を高々と放り投げた。

「みんなでつないだボールだったので絶対にトライを、と思って。人生で一番幸せな瞬間でした」

大きく叫ぶ11番を中心にフィフティーンがなだれ込むと、生駒は左腕を突き上げた。鍛えた二の腕からは白色リストバンドがチラッと見える。「埜村(正章)くんの分まで…。花園を一緒に目指した仲間なので。ほんとにありがとう…」。右足首腓骨(ひこつ)骨折のため、大会直前にメンバーから外れ、スタンドで見守った同学年の友に歓喜の瞬間を届けた。

仲間あっての自分だった。部室に置いてあった埜村(のむら)正章のリストバンドを借り、花園で着用。「最近は(手術で)入院してたんで会えなかった。今日は(観戦に訪れ)『俺の分まで頑張ってくれ』と。その思いは絶対に」。一緒に聖地で躍動した。「僕はもともと、リザーブなんです。大会2週間前から埜村くんの代わりにウイングになって…」。30人の大会登録メンバー。生駒は「30番目」に記入され“代役”だった。花園でも初戦は出場したが、2戦目はメンバー漏れ。大一番で、力を出しきった。

野上友一監督(61)は「(生駒は)1000%の力を出してくれた」と興奮気味に話す。「ロスタイム0分」。ラストプレーでの大逆転劇には「プレッシャーよりもワクワクした。練習通り。こんな気持ちいい試合は初めて」と笑った。

最後に勝ち切る試合勘は、毎日の練習で行う「10分ゲーム」で培われた。指揮官が「あのゲームが教訓」と表現する試合は春大会で0-7と敗れた御所実(奈良)戦。「あれから毎日(10分)ゲームを組んでいます」。大阪勢ただ1校の準決勝進出。「Bシードでもないと思うぐらい練習してきた。大阪の意地を見せたい」。高校日本代表候補は主将でPR為房慶次朗(3年)のみ。「雑草魂」で頂を目指す。【真柴健】

◆常翔学園 1922年(大11)に関西工学専修学校として設立。13年に大工大高から現校名になった。ラグビー部は37年(昭12)の創部。全国高校大会で優勝5度、準優勝2度、ベスト4入りは13度目。部員数91人。主なOBに元日本代表の河瀬泰治氏(摂南大総監督)元木由記雄氏(京産大コーチ)ら。

◆前回大会の準々決勝・流通経大柏(千葉)戦 前半は14-0とリードして折り返したが、後半17分にパスミスからトライを献上。同22、26分とモールを起点に連続トライで逆転され、14-19と5点を追った。試合終了間際に敵陣深くへ攻め込んだが、ノーサイド。野上監督は「伝統が復活した。必ずや、次につながる」と語り、悔し涙を流す教え子たちを抱きしめた。