新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は1年延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

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馬術初の金メダルは1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越個人で、西竹一(当時30)が獲得した。陸軍騎兵連隊に所属し、「バロン西」の愛称で親しまれ、愛馬ウラヌス号とともに表彰台の頂点に立った。日本馬術界において、これが唯一の五輪メダルとして名を刻んでいる。

8月14日、当時は五輪の華として、閉会式に先だって行われた。超満員10万人のスタジアムに11番目で馬場に飛び出し、大小19の障害を次々にクリアした。10番目の選手までで完走者4人という難コース。減点12でトップだったチェンバレン(米国)を上回る減点8でフィニッシュした。

「バロン・ニシ、バロン・ニシ!」。前回五輪最下位の日本から来た男爵に、スタンドの観客が総立ちで拍手を送った。ロサンゼルス市からは、市民栄誉賞が贈られた。

それから13年後の45年3月22日、太平洋戦争末期に、西は壮絶な最期を遂げた。連隊長として赴任した硫黄島で、米軍将校から追いつめられ「バロン・ニシ、ロサンゼルスでの名誉は知っている。もう終わりだから、降伏しなさい」。しかし、これを拒絶。両足に銃弾を浴び、戦地で永眠した。胸には、ウラヌスとの写真がしのばせてあった。その6日後、愛馬も主人の後を追うように息を引き取った。