休刊日特別編の今回は、ワールドカップ(W杯)の開会式典を取り上げる。9月20日開幕の日本大会における詳細は、現時点でベールに包まれている。07年フランス大会では、後に日本人初の国際ラグビー殿堂入りを果たす元日本代表坂田好弘氏(76=関西協会会長)が世界のレジェンドとして参加。当事者が特別な空気感を振り返った。

07年W杯フランス大会開会式典の写真とピンバッジを手にする坂田好弘氏(撮影・松本航)
07年W杯フランス大会開会式典の写真とピンバッジを手にする坂田好弘氏(撮影・松本航)

07年9月7日、パリ近郊のスタッド・ド・フランス。「ヨシヒロ・サカタ、ジャポン」のアナウンスを合図に、ジャケット姿の坂田は鮮やかな緑の芝を走った。地元フランスの開幕戦を待ちわびた、8万人による大歓声。四方八方を見渡すと「あのようなチャンスをもらったのは思い出。選んでいただいたことが光栄だった」と2度とないであろう光景を目に焼き付けた。

坂田は日本代表WTBとして68年のジュニア・オールブラックス戦に臨み、4トライで23-19の歴史的勝利に貢献。翌69年にニュージーランドへ単身留学し「空飛ぶウイング」と評された。その功績は強豪国にも認められ、03年W杯オーストラリア大会では元フランス代表の名選手ジャン・ピエール・リーブの呼びかけで、4年後に向けた親善大使16人に選出されていた。

07年フランス大会開会式典への参加が発表されたのは、1カ月前の8月9日。この時点で式典の詳細は不明だったという。「前日のリハーサルで何回も何回も走りました」。参加20チームから1人ずつ選ばれた伝説の選手は、手にしたボールを子どもにパス。そこにフェアプレー精神、文化、価値観の尊重などメッセージを込めた。式典は約20分。シンプルな演出は“選手ファースト”でもあった。

世界のレジェンドたちと過ごした約10日間で、坂田が強く感じたことがある。

「ラグビーの仲間っていうのは、決して偉ぶらない。『俺は世界の○○だ』ということは一切言わない。これはラグビーの良さだと思う」

約1カ月後に迫ったW杯日本大会開会式典の詳細は、現時点で明らかになっていない。アジア初のW杯で、世界にどんなメッセージを発信するのか-。日本-ロシアの開幕戦前にも、興味の尽きない時間がある。(敬称略)【松本航】