日産自動車が9日、経営合理化の一環として神奈川と福岡の硬式野球部、卓球部(男子)、陸上部を休部すると発表した。硬式野球部2チームは12月末まで、卓球部と陸上部は3月末までの活動となる。硬式野球部(神奈川)は都市対抗28度の出場で2度の優勝を誇る。日産出身のプロ選手は現役に8人おり、最多。また、卓球部男子は日本リーグ最多19度の優勝で、五輪代表も輩出した。陸上部は89年に全日本実業団駅伝を制した。不況の影響で、企業スポーツに大きな危機が訪れている。

 都市対抗2度の優勝を誇る名門野球部が、世界的不況の波にのまれた。午後5時30分すぎ、横浜市旭区市沢町の「日産市沢寮」の玄関前で対応した久保恭久監督(48)は、憔悴(しょうすい)した表情を浮かべた。「情報が交錯してはいけないので、今後の対応は本社の広報で一本化させていただきます。野球部としての単独のコメントは出せません」とした上で、「会社から連絡が来て、12月まで、今年のシーズンまでということです」と絞り出した。日産自動車九州も同じく12月末で休部する。

 選手たちはグラウンドに隣接する寮の1階にジャージーや練習着姿で集まり、テレビの映像を見ながら会社側の説明に聞き入った。午後5時25分ごろミーティングが終了すると、足早に寮を去る選手などが相次いだ。ある部員は「何も言えない」とだけ答えた。

 久保監督は選手の様子について「突然だったものですから。これから私も選手たちの話を聞かなくてはいけない」と、移籍先など今後の対応に頭を悩ませた。相次ぐ質問には「寒い中、待ってもらって申し訳ありませんが」と、何度も頭を下げて寮の中に入った。

 日産自動車野球部は赤を基調にしたユニホームが特徴で、84年と98年に都市対抗で優勝。03年は日本選手権を初制覇した。06年セ・リーグ新人王に輝いた広島梵やオリックス川越など20人以上のプロ選手を輩出。昨秋のドラフトでは野上亮磨投手(22=神村学園)が西武2位で入団した。野球部創部は59年で、今季が50周年の節目の年だった。

 社会人野球を統括する日本野球連盟・鈴木義信副会長(64)は「日産ですら来たな、という感じだ」と驚きをもって受け止めた。日産自動車と同じ神奈川の東芝で監督を務めていたこともあり「ともにしのぎを削ったのに」と、無念そうに話した。

 社会人の企業チームは1963年の237チームをピークに、09年は85チーム(2月2日現在)まで減少した。他チームの統廃合のうわさも聞くと明かした鈴木副会長は「企業として、続けたくても続けられない状況はしっかり認識している」と話す。現在は京セラドーム大阪で一括開催している日本選手権の開催方法も検討課題とする。今後も企業チームの減少が見込まれることを踏まえ、連盟主催の大会数の縮小など「いろいろな大会の見直しを図っていく」という。未曾有の不況は、企業スポーツにもかつてない最大の危機をもたらしている。