佑ちゃんに負けないほど華々しくデビューした右腕が、社会人で復活を目指す。国学院大・村松伸哉投手(4年=光星学院)は07年春、東都大学リーグでは21年ぶりとなる新人開幕投手を務めた。同年の日米大学野球でMVPを獲得するなど活躍。しかし、2年からは振るわず、今秋のドラフト会議に向けたプロ志望届の提出を断念した。社会人のかずさマジック(千葉)でプレーを続け、2年後のプロ入りを狙う。東都大学リーグの4年生の進路が17日までにほぼ出そろった。

 村松の1年時の活躍は早大・斎藤に負けていない。リーグ21年ぶりの新人開幕投手を務め、球速は当時の楽天田中より速い153キロ。1年では斎藤と2人だけ日米大学野球に選ばれ、MVPを獲得。常時150キロ前後の真っすぐはメジャーのスカウトから絶賛され、「斎藤を超せた、という気持ちも出た」。

 だが、華々しいデビューが重荷になる。「プロに行かなきゃ、と思い込んだ。焦る必要もないのに、常に焦っていた」。2年時、制球と変化球を磨こうとした結果、直球は130キロ前半まで落ちた。以降、スピードは戻っても勝てなくなった。当時の竹田監督から、スカウトの目を気にしすぎていると指摘されたが、「素直になれなかった」。リーグ戦通算6勝16敗。創部80年目の初優勝を勝ち取った今秋、登板はなかった。

 「このままではプロではやって行けない」と、プロ志望届は提出しなかった。新日鉄に就職し、複数の企業の選手からなる、かずさマジックでプレー。「同じ舞台でやりたい」。高校の同級生、巨人坂本らが活躍するプロへの夢はあきらめていない。

 05年、父一(はじめ)さんが48歳で他界し、母郁子さん(52)から仕送りを受けた。高3の妹由麻さんは大学進学を希望。「授業料を出してあげたい」。プロ入りが、家族への恩返しになると信じている。【清水智彦】