マツダスタジアムで日米通算2000安打を達成した福留に話し掛けました。

 「イチローがパ・リーグでやろうよって言ってたのを覚えてる?」

 福留は笑いながら「もちろん。イチローさんはそう言ってましたね」と笑顔で答えてくれました。古い話だけど、すっかりおっさんになったこちらにはなんともうれしく感じたのです。

 もう20年以上も前の話です。PL学園のスターで95年ドラフトの超目玉だった福留には7球団の1位指名が競合。近鉄バファローズの監督に就任したばかりの佐々木恭介氏が当たりクジを引きました。

 「赤ふん」で「ヨッシャー!」のあれです。福留が阪神に来てから応援している若いファンにはもはや何のことか分からないと思いますが。知っている野球ファンの先輩方に聞いてくださいね。

 そのドラフト会議が行われた95年11月22日。私は沖縄・那覇にいました。前々日からオリックスの選手会納会が那覇で行われ、イチローらが参加するため出張していたのです。

 本来なら21日に大阪に戻れるのですが私は那覇に残っていました。福留のドラフトに関するイチローの取材を狙うためでした。

 当時の福留には意中の球団があり、その中にパ・リーグは入っていなかった。パ球団がクジを引いたらどうなるのか。そんな中、当時の球界の情勢を一気に変えそうな男・イチローのコメントが欲しいと思ったからです。イチローは選手会の用事でまだ沖縄に残る予定でした。

 デスクと相談し、沖縄に残留。当時はドラフト会議は午前中からです。今では考えられないことですが22日は朝からイチローに密着。イチローのマネジャーと3人でいっしょに国際通りを歩き、公設市場にも行ったりして普通に過ごしました。途中、観光客に気付かれ「いかん!」と走って逃げ出したことも覚えています。

 そして近鉄が交渉権を獲得したのを受け、話をしました。「近鉄とオリックス、パ・リーグでいっしょにやれればいいですね」。イチローはそう話してくれ、それはそのまま記事になりました。

 結局、近鉄入りを拒否した福留は社会人野球を経て、中日入り。その後、大リーグから阪神に入っています。イチローもオリックスを去り、大リーグのスーパースターになっています。そんな2人は第2回WBCでチームメートとして「世界一」も勝ち取りました。

 時が流れ、オリックスと近鉄は合併し「オリックス・バファローズ」になり、いま近鉄色が強い楽天と28日からセルラー那覇で対戦します。

 その取材に出向いた沖縄で21年前のことを思い出しています。