敦賀気比が初優勝。篠原涼主将の選手宣誓で開幕したセンバツが、篠原主将の優勝インタビューで幕を閉じた。

 気比で始まり、気比で終わったセンバツ。選手宣誓をしたチームが優勝したのは、過去4回。96年春の林川大希主将(鹿児島実、エース下窪陽介=元横浜)以来19年ぶりだ。

 第68回センバツ大会で選手宣誓し、初優勝した林川大希さんに電話で話を聞いた。


 ―選手宣誓という大役は、試合を戦う上でどんな影響があったか?

 「僕としては『重み』や『負担』には感じず、楽しみな気持ちの方が強かった。やる前はいい緊張感もあり、選手宣誓を自分の中で『甲子園で戦う1回戦』ような気持ちで臨みました。宣誓をやり切り、初戦への助走が付いたと思います」

 ―選手宣誓は覚えているか?

 「今でも覚えています。自分で考えたものを推敲してもらい、完成しました。『不屈不撓』という校訓を入れたところが自分のこだわりでした。96年春は阪神淡路大震災の翌年でした。今、甲子園でプレーできることに感謝して宣誓をしようと思い、気持ちを込めました」

 ―それ以来の選手宣誓校の優勝。

 「いま聞いて初めて知りました(笑)。夏は小山君(横浜高校)がそうだったのを覚えていたのですが」

 ―今春の敦賀気比の戦いは見ましたか?

 「今大会はあまり見られなかったのですが、昨夏、仕事の合間に見た印象では投打にまとまっている総合力の高いチームだと感じました。京都を中心とした関西の強豪ボーイズ出身の選手が多い印象がありました」

 ―敦賀気比は春夏連覇への挑戦が始まります。

 「高校生ですから、優勝して達成感を得て、気の緩みが出るのは当然です。どうしても、勝利への執着心は薄くなると思います。僕の時もそうでした。自分がアドバイスを言える立場ではありませんが、夏を目指すには、次の第一歩目をどう踏み出すかが大事だと思います。夏への課題をすぐに見つけ、向き合うことですね」

(鹿児島実は夏の甲子園に出場し、準々決勝進出)


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 林川さんは鹿児島実時代、主将、捕手、4番で活躍。第2回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選ばれた(4月、フィリピン開催)。卒業後、早稲田大に進学し、三菱自動車岡崎でプレー。04年より10年間コーチを務め、昨冬に引退。現在は社業に専念している。


 97年生まれの篠原主将が96年の林川さんの選手宣誓を記憶していることはないと思うが、選手宣誓を「初戦への助走」と話した林川さんの言葉に、止まらない勢いで再三のピンチを切り抜いていった敦賀気比の勢いが重なった。


第68回選抜高校野球大会開会式で選手宣誓する鹿児島実の林川大希主将
第68回選抜高校野球大会開会式で選手宣誓する鹿児島実の林川大希主将

[第68回大会センバツ大会選手宣誓 全文]

高校球児の晴れ舞台、憧れの甲子園球場に立ち、

全国10地区の代表としてプレーできることの喜びを噛みしめ、

白球を夢に乗せ、持てる全ての力を一投一打にそそぎ、

不屈の精神、不撓(ふとう)の気迫で、

高校生らしい、はつらつとしたプレーに全力を尽くすことをここに誓います。


鹿児島実業 野球部主将 林川大希