3月19日に開幕するセンバツ大会。2年ぶり12度目の出場となる仙台育英は、左腕エース・長谷川拓帆(2年)を中心に守備からリズムを作り、最少失点で粘り勝つのが特徴だ。1年夏に甲子園準優勝した西巻賢二主将(2年)が注目されているが、チームカラーは「全員野球」。メンバー20人が出場した東北戦(秋の中部地区大会)に代表されるように、総力戦で競り勝つ。佐々木順一朗監督(57)は「みんなが相互作用で大きな歯車になっていくことができれば、面白い大会になるんじゃないか」と期待している。


 その佐々木監督。取材に行くと、いつも本部(監督やスタッフの机がある)の定位置に座って、談笑していることが多い。“ライオンCafe”と呼ばれる喫茶店のような雰囲気の部屋で、男子マネージャー・安藤大生君(2年)が注文を取りに来てくれるのだが、お茶を飲みながら30分、1時間…。練習が始まっても、佐々木監督は部屋の中にいる。グラウンドでは、キビキビとした動きで練習する選手たち。中心には、グラウンドマネージャー(GM)の小野寺航希君(2年)の姿があった。

GM、記録員、ノッカーとして甲子園出場を楽しみにしている小野寺航希GM(左は加藤雅己選手)
GM、記録員、ノッカーとして甲子園出場を楽しみにしている小野寺航希GM(左は加藤雅己選手)

 「うちはキャプテンよりも、GMの存在が大きい。ほぼ、監督です。僕の足りない所、チームの足りない所を引き出してくれるので、ほとんどのことは彼に任せています」。佐々木監督が全幅の信頼を置く小野寺君。選手として入学したが「試合に出れていなかったので、チームに貢献できる方法を自分で考えて決めました」と、1年冬にGMに立候補した。七ヶ浜中時代は生徒会長。リーダーシップがあった。公式戦では記録員としてベンチ入りし、試合前はノッカーも務めている。秋の東北大会ではみごとノーミス。キャッチャーフライも1発で決めた。甲子園でノックをすることも決まっており小野寺君は「緊張すると思うけど、楽しんでやってこようと思います」と目を輝かせる。青と黄色でデザインしたオリジナルノックバットを愛用しているので、是非注目してほしい。


 部員88人の大所帯である仙台育英では、この他にも「DIY部」という環境整備のリーダーがおり、猪股和斗選手、堀田知希選手(2年)がレギュラーを目指しながらも、率先してチームのために働いている。自ら気づき、動く。仙台育英の選手の特徴の一つだ。

仙台育英の環境整備を担当する「DIY部」。猪股和斗選手、堀田知希選手(2年)がリーダーとなって他の選手をひっぱる
仙台育英の環境整備を担当する「DIY部」。猪股和斗選手、堀田知希選手(2年)がリーダーとなって他の選手をひっぱる

 仙台育英の系列中学校。同じ「IKUEI」のユニホームで戦う仙台育英学園秀光中等教育学校にも“逸材”がいる。学生コーチ兼選手の西野恭平選手(2年)だ。「仕事は、練習の管理と、学校生活の管理。スケジュールの相談、提出物の確認や、放課後の自習の準備もします」と胸を張る。中学の野球部で学生コーチがいるのは珍しい。秀光中等は8年連続全国大会出場を果たしており、3月24日に静岡で開幕する「文部科学大臣杯 第8回全日本少年春季軟式野球大会」の出場が決まっている。仙台育英メンバー20人中、西巻主将を始め9人を送り出した「弟」チームでもある。常勝軍団ゆえ、レギュラー争いはし烈だが須江航監督(33)は「西野は苦労を惜しまず、人のために動ける生徒だなと野球ノートなどから感じていた。人への献身さが自分自身を向上させるタイプで、学生コーチとしても一生懸命やってくれています」と話す。西野君は全国大会に向け「まず自分がだらけないように、朝起きた時からきちんと生活します」と表情を引き締めた。公式戦11試合(38回)被安打2、自責1の好投を見せた右腕・宮本拓実主将(2年)を軸に、2014年夏以来の日本一を狙う。仙台育英と秀光中等。兄弟校の春W優勝となれば、史上初となる。

系列校・仙台育英と同じユニホームを着ての春の全国大会出場に燃える、学生コーチの西野恭平選手(2年)
系列校・仙台育英と同じユニホームを着ての春の全国大会出場に燃える、学生コーチの西野恭平選手(2年)

 人間力を養う部活動の中で、最近はチームをマネージメントする部員たちの働きぶりにも注目が集まっている。強いチームには、こういった選手の存在があるからだ。使命感に燃える「影の戦力」たちにも、この春エールを贈って欲しい。【樫本ゆき】

1月27日、センバツ出場の知らせに沸く仙台育英の選手たち(多賀城市の仙台育英グラウンド)
1月27日、センバツ出場の知らせに沸く仙台育英の選手たち(多賀城市の仙台育英グラウンド)
全国屈指の強豪校、秀光中等。創部12年、3月の春季全国大会で10度目の全国大会出場となる
全国屈指の強豪校、秀光中等。創部12年、3月の春季全国大会で10度目の全国大会出場となる