<横浜・高浜祐仁>

 フリーライターの樫本ゆきと申します。日刊コラムに加わることになりました。当ブログのテーマは「再会」です。「輝け甲子園の星」の記者だった経験が今になってジワジワ生かされてることが多いからです。自己マン記事にならぬよう注意しながら、皆さんに「へえ~」「懐かしい~」と思ってもらえる記事・情報を提供したいと思います。月2回更新が目標。第1回は2年ぶり15度目のセンバツ出場を決めた横浜高校の主砲・高浜祐仁選手(3年)です。


 渡辺元智監督(69)の言葉を借りると、まさに「滑り込みセーフ」。横浜高校が関東6校目の枠でセンバツ出場を決めた。選出は「微妙」と言われていたが、おそらく、昨夏の神奈川大会・準々決勝で桐光学園・松井裕樹(楽天)を攻略し甲子園を決めた8選手の経験値を期待されての選出だろう。ギリギリで選ばれたのに、翌日の各スポーツ紙の評価は軒並み「A」。優勝候補の声も上がっている。それだけ上を狙える布陣だということを意味している。甲子園通算51勝監督、渡辺監督の手腕に注目したい。


 1年から4番を打つ高浜の一振りに注目している。

 高校通算23本塁打。昨夏は、桐光松井の切り札であった右打者へのチェンジアップを横浜スタジアムのバックスクリーンまで運んだ。甲子園・丸亀戦の3ランも記憶に新しい。


飯塚RSBで優勝メダルを目にする中3の高浜(2011年)
飯塚RSBで優勝メダルを目にする中3の高浜(2011年)

 高浜の打撃を初めて見たのは、彼が飯塚ライジングスターボーイズの遊撃手として活躍したジャイアンツカップだ。当時から目をひくどっしりとした体格。今とほぼ変わらない183センチ、83キロ。東京ドームでの決勝戦で1打席目に三塁線を襲う強烈な二塁打を打った。4打席目は左翼フェンスを越えるかと思う当たりで左中間三塁打。解説の篠塚利夫氏が「(ボール球の)高い球をタイミングよく前でコンタクトできる打者」と褒めていた。高浜に話しかけると「ノーステップに切り替えたおかげで対応できました」とニコリともせず淡々と応えていたのが印象的だった。中3にして最高飛距離は110メートル。兄・卓也(ロッテ内野手)とはカラーの違う、とてつもなく大きなスケールを持った選手だな…。

 当時の記憶がよみがえる。


 「最後の年なのでアピールしたい。プロに行くためにも」。センバツ出場が決まった直後の高浜は、あの時の同じ様に淡々と話した。しかし、その言葉には不本意だった昨秋の悔しさが込められているように見えた。県大会途中に左足小指を骨折。慶応戦では前打者の浅間が敬遠されるのをネクストバッターボックスから見つめ、唇を噛んだ。東海大相模戦では初の7番降格も味わう。関東大会4強入りを逃した佐野日大戦、初回のエラー(暴投)は今も責任を感じている。


センバツ出場を決めた高2の高浜。当時、あまりの落ち着きぶりに言葉を失った覚えが・・・笑
センバツ出場を決めた高2の高浜。当時、あまりの落ち着きぶりに言葉を失った覚えが・・・笑

 そんな思いから、この秋は福岡で暮らす父・晋一さん(52)の助言で減量に着手。寮でのご飯を2杯から1杯に減らし4キロ減の80キロ減量に成功した。「体が絞れて、動きが軽くなった」。精神面でも成長し、最近は全体ランニングの先頭を走るようにもなった。最後の年にかける意気込みが、行動に変わった。「オフに実家に帰っていろんな人と話をしてきたんでしょう。苦しい経験は糧になるはず」。渡辺監督は主砲の成長に目を細める。


 「甲子園では欲を出さず、力を抜いて打ちたい。自分が打てばきっと結果はついてくると思うので」。中学時代に達成した全国制覇。一度は諦めていたセンバツ出場権を手にした今。8年ぶり4度目の紫紺の大旗を目指し、一気に頂上まで駆け上がる。